帝王教育(3) 「三種の神器は知仁勇」 尊皇の思想家、杉浦重剛の熱血授業 NO.2

帝王教育(3) 「三種の神器は知仁勇」 尊皇の思想家、杉浦重剛の熱血授業   NO.2

(4/6ページ)【昭和天皇の87年

画=豊嶋哲志画=豊嶋哲志

 「倫理御進講草案」によれば、「三種の神器」に続く2回目以降のテーマは「日章旗」「国」「兵」「神社」「米」「刀」「富士山」「相撲」-など。

第2学年には「仁愛」「公平」「正義」など精神面について講義し、第3学年以降は「綸言汗の如し」「五条御誓文」「大義名分」「和魂漢才」などを教えた。

人物も取り上げている。日本人では上杉謙信、徳川光圀、中大兄皇子など。

外国人ではワシントン、ルソー、マホメット、孔子などをテーマにした。

なお、授業中にノートはとらせない。

「筆記をされると、肝要のところの精神が通じない」と考えたからだ。

生徒が集中力を欠いているとみるや、あえて脱線して引きつける“技”も持っていた。

そんな授業を、裕仁皇太子はどう思っただろう。

一緒に受けた学友、永積寅彦はこう述懐する。

「生徒の緊張が緩む頃を見計らってでしょうか、時々大きな声で万葉和歌や漢詩を詠いましてね。

その時は笑顔に変わるんです。

とにかく、自信に満ちた堂々とした講義でした。引き込まれました」

× × ×

東宮御学問所では、帝王学を教える杉浦の倫理と並んで、裕仁皇太子や学友たちの興味を引きつける授業がもうひとつあった。

邪馬台国論争で知られる白鳥庫吉の、歴史だ。

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白鳥の歴史の授業は、第1章が「帝国の領土及び位置」などの総説、第2章が「天孫降臨」など神代、第3章が「神武天皇の東征」と続いていく。

しかし白鳥は、「神代史は神話であって、歴史ではなく、神の物語り。

我々の祖先が皇室に対していかなる考えを有していたか、その信念思想の現われ」と、明確に区分していた。

前出の学友、永積が振り返る。

「白鳥先生はすでに学習院で乃木院長に『神話と歴史事実は別のものであることを、とくと生徒に話したいということを了解してもらいたい…』といわれたそうです。

それを前提に授業をなさっていたと思います」

裕仁皇太子は、学習院初等学科時代から歴史が好きだった。

史実に沿った白鳥の授業により、歴史への関心がさらに深まったことだろう。

「(白鳥先生は)いつも飄々(ひょうひょう)としておられて、(中略)いつもゆっくりと体を左右に揺らしながらいかにも楽しげに講義をしておられたお姿をおぼえています」

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画=豊嶋哲志画=豊嶋哲志

 歴史は倫理とともに、帝王学には欠かせない学問だ。

その点、白鳥と杉浦は好対照だった。

杉浦が「三種の神器」を三徳(知仁勇)の象徴と教えたのに対し、白鳥は権威のシンボルと説明した。

風貌も、片やライオン髯(ひげ)の国士然、片や丸眼鏡の学者然である。

 2人の授業は、物事を多角的に捉える思考を養う面でも、裕仁皇太子に良好な影響を与えたに違いない。

× × ×

 ところでこの時代の帝王教育には、学問とは別に、必須の領域がある。

陸海軍将兵を統帥する、大元帥としての資質の養成だ。

 東宮御学問所では1学年から「武課及体操」が正式科目としてほぼ毎日あり、4学年からは「軍事学」の講義も加わった。

 陸海軍演習の視察もある。

このとき、裕仁皇太子に直接指導したのは御学問所総裁、東郷平八郎である--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)杉浦重剛が設立し、長く校長を務めた日本中学(現日本学園)からは吉田茂(首相)、横山大観(画家)、長谷川如是閑(評論家)、岩波茂雄(岩波書店創立者)ら各界の第一人者が多数出ている

【参考・引用文献】

○杉浦重剛先生顕彰会発行『回想杉浦重剛 その生涯と業績』

○藤本尚則著『国師杉浦重剛先生』(敬愛会)

○大竹秀一著『天皇の学校 昭和の帝王学と高輪御学問所』(文芸春秋)

○猪狩又蔵編『倫理御進講草案』(杉浦重剛先生倫理御進講草案刊行会)

○明治教育史研究会編『杉浦重剛全集 第5巻』(杉浦重剛全集刊行会)

○永積寅彦著『昭和天皇と私』(神道文化会)

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