宮中某重大事件(1)即位の礼と立太子の礼…相次ぐ皇室慶事 列島は歓喜につつまれた NO.2

宮中某重大事件(1)即位の礼と立太子の礼…相次ぐ皇室慶事 列島は歓喜につつまれた NO.2

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画=豊嶋哲志画=豊嶋哲志

 

 そして5年11月3日、立太子の礼-(※3)。

陸軍歩兵大尉の正装で東宮御所を出門した裕仁皇太子は、近衛騎兵57人が前後を固める特別馬車で皇居に向かう。

沿道には陸海軍儀仗(ぎじょう)兵が整列し、その後ろに群衆が立ち並び、馬車の通過にあわせて頭を下げる。

皇居に着いた裕仁皇太子は黄丹袍の束帯装束に着替え、賢所に拝礼。

大正天皇から壺切御剣(つぼきりのぎょけん※4)を、勅語とともに授けられた。

壺切ノ剣ハ歴朝皇太子ニ伝ヘ 以テ朕カ躬(み)ニ●(およ※5)ヘリ 今之ヲ汝ニ伝フ 汝其レ之ヲ体セヨ

このとき、皇居周辺には陸軍の礼砲が鳴り響き、品川湾や横浜港では満艦飾の海軍艦艇が皇礼砲をとどろかせ、一般市民は提灯行列や花電車などで我らが皇太子を奉祝した。

のちに大正ロマンといわれる、華やかな大衆文化が花開いた時代だ。

経済界は大戦景気に沸き、街は活気にあふれていた。

裕仁皇太子も国民も、皇室と日本の前途に大きな希望を抱いたことだろう。

慶事は続く。

節目となる立太子の礼を終え、お妃選びが本格化したのだ。

ところが皇太子妃候補をめぐり、やがて宮中某重大事件と呼ばれる大騒動が、政府と宮中を揺るがすことになる--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

 

 (※1)対華21カ条要求 : 第一次世界大戦に参戦した日本の大隈重信内閣が大正4年1月、中国の袁世凱(えんせいがい)政権に提起した要求。

満州や山東省の権益確保などを求める14か条の要求条項に加え、内政干渉をうかがわせる7カ条の希望条項を突きつけたことから、中国はもちろん列国からも批判を受けた。

このため大隈内閣は同年5月、希望条項を取り下げたうえで、ほかの要求条項などを袁世凱政権に認めさせた

(※2)空頂黒● 天皇および皇太子が加冠の前につける額当て。●は「巾(はばへん)」に「責」

(※3)立太子の礼 皇太子の身位を内外に示す皇室儀礼

(※4)壺切御剣 天皇から皇太子に代々授けられる護り刀

(※5) ●は、二点しんにょうに「台」

【参考・引用文献】

○宮内庁編「昭和天皇実録」4、5、6巻

○藤本尚則著「国師杉浦重剛先生」(敬愛会)

○大正4年11月11日の東京日日新聞、東京朝日新聞、読売新聞

○5年11月4日の東京日日新聞

 

 

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