関東大震災(1) 焦土と化した帝都 数万の遺体を焼く炎が、夜空を赤く染めた NO.2

【昭和天皇の87年】焦土と化した帝都 数万の遺体を焼く炎が、夜空を赤く染めた NO.2

 関東大震災(1)

なお、被災地の視察は本来、8日に行われる予定だった。

しかし治安が悪化しており、延期せざるを得なかったのである。

 余震はおさまっても、人心は激しく動揺していた。

各地で略奪事件や放火騒ぎが相次ぎ、さまざまな流言が飛び交った。

混乱に乗じて憲兵隊などが社会主義者らを独断で殺害する事件も起きた。

アナキストの大杉栄が内縁の妻や6歳の甥(おい)とともに連行され、憲兵大尉の甘粕正彦らに殺されたのもこの頃である(※3)。

 未曾有の震災に、帝都は、人間としての感覚をまひさせるほどに混乱していたのだ。

 この混乱に拍車をかけたのは、新聞報道である。

 9月3日の東京日日新聞が書いた。

 「不逞(ふてい)鮮人(※4)各所に放火し 帝都に戒厳令を布く」--

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 大正12年9月3~7日の大阪朝日新聞の見出しから引用。

震災により東京朝日新聞、読売新聞、国民新聞などの社屋が焼失、崩壊したため、比較的被害の少なかった東京日日新聞をのぞき、震災当初の様子は大阪発行の新聞のほうが詳しい

(※2) 巡回救療班設置の経緯や目的については、宮内省が被災地に配布もしくは掲示した以下の宣伝ビラに詳しい

--今回の震災に付て 

皇后陛下には日夜御心を労(いため)させられ お産の前後や小児の疾者(べいき)等にも此の騒(さわぎ)で手当の行届かぬやうなことがありはしないかとの御心から 宮内省巡回救護班を設けられることゝなつたのです 

何分にも急な事で充分な設備は出来ませぬが 成るたけ親切にお世話したいと思ひます

一、巡回救護班は朝から晩まで自動車で市内を巡回して一切無料で診察もしお薬もあげ又簡単な手術もします

二、小児科と産婦人科とを主とし内科や外科の患者も取扱ひます

三、入院を要するものは最寄の病院に入院も出来るやうに連絡を着けます 宮内省--

 

(※3) 事件の首謀者である甘粕正彦は軍法会議にかけられ、懲役10年の判決を受けたものの、減刑されて3年ほどで出獄した。

陸軍上層部が殺害を指示したとする疑惑もあったが、背後関係はほとんど調べられないなど、謎の多い事件とされる。

震災時にはこのほか、警視庁亀戸署に連行された社会主義者ら10人と自警団員4人が騎兵隊に刺殺された亀戸事件などが起きている

(※4) 朝鮮半島出身の反日活動家らの俗称。

当時の新聞報道などで多用されていた

【参考・引用文献】

○中央防災会議・災害教訓の継承に関する専門調査会「1923関東大震災報告書」(平成18年7月作成)○宮内庁編「昭和天皇実録」10巻

○宮内庁編「貞明皇后実録」)24巻

○堀口修著「関東大震災と貞明皇后」(「大正大学研究紀要」97輯所収)

○牧野伸顕記、伊藤隆ら編「牧野伸顕日記」(中央公論社)

○田中光顕監修「聖上御盛徳録」(長野新聞)

 

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