ダルマ蔵相 日本経済を救った不屈の男 高橋是清の非常政策

【昭和天皇の87年】日本経済を救った不屈の男 高橋是清の非常政策

第77回 ダルマ蔵相

 昭和-。

歴代元号の中で、唯一60年を超えた昭和の名称は、「激動」の枕詞(まくらことば)とともに、いまなお日本人の耳に重く響く。

 由来は、中国最古の歴史書「書教(尚書)」にある「百姓昭明、協和万邦」だ。

国民(百姓)の平和と、世界各国(万邦)の共存共栄とを願う心が込められている(※1)。

 だが、この願いとは裏腹に、昭和は、その幕開けから激動の連続だった。

 最初に国民を襲った衝撃は経済、金融恐慌である。

 第1次世界大戦の影響で空前の好景気にわいた日本経済は、大戦後に冷え込み、関東大震災によってさらに悪化した。

このときの震災手形が膨大な不良債権と化して銀行経営を圧迫し、昭和2年3月中旬以降、預金者が銀行に殺到して引き出しを迫る取り付け騒ぎが相次いだ(※2)。

 昭和の新政が始まって3カ月足らず、いきなりの激動である。

危機に直面しながら、当時の議会は与党の憲政会と野党の政友会とが政争に明け暮れ、混迷の度を増していた

 

昭和天皇は、苦悩を深めたことだろう。

これより前の1月半ばには《目下の政情を案じられ、内閣総理大臣若槻礼次郎をお召しになり》、侍従次長を通じて説明を求めたと、昭和天皇実録に書かれている(14巻8頁)。

 政府は3月23日、震災手形処理法案を成立させ、取り付け騒ぎはひとまず沈静化した。

しかし、金融不安が解消されたわけではなかった。

 中でも深刻だったのは、多額の震災手形を抱え込んでいた台湾銀行の経営状態だ。

台湾の貨幣発行権を持つ同行が破綻すれば、その影響は計り知れない。

 4月14日、若槻内閣は、日本銀行の無担保特別融資により台湾銀行を救済しようとし、議会が閉会中だっため緊急勅令を奏請。

昭和天皇は直ちに勅令案を枢密院に諮問した。

ところが枢密院は17日、政府方針を憲法違反として否決してしまう。

台湾銀行は翌18日に内地と海外支店の休業に追い込まれ、その余波で休業する銀行が続出、猛烈な取り付け騒ぎが再燃し、国民はパニック状態に陥った(※3)。

 

この危機を救ったのが、「ダルマ」と呼ばれた高橋是清(これきよ)である。

 4月19日、若槻内閣の総辞職により首相就任の大命を受けた政友会総裁の田中義一は、高橋の自宅を訪ねて頭を下げた。

 「この危機に対処できるのはあなたしかいません。

どうか大蔵大臣を引き受けていただきたい」

 高橋、このとき74歳。

数々の苦境を乗り越えてきた、不屈の財政家である。

 安政元(1854)年に江戸の絵師の婚外子として生まれ、足軽の家へ里子に出されて養子となった。

数え14歳で渡米したものの、本人の知らぬ間に奴隷として売られた経験を持つ。

逃げ出して帰国した後も、知人にだまされて放蕩(ほうとう)生活を送ったり、ペルーの銀山経営を任されて財産を失ったりと、波瀾(はらん)万丈の半生をたどった。

 転機は明治25年、39歳で日本銀行に入行し、たちまち頭角をあらわして44年に総裁となった。

以後は政界に転じ、2度の蔵相を経て大正10年には首相に上りつめた。

転んでは起き、転んでは起き上がる数奇な経歴は、ダルマのあだ名そのものである。

 

 

3度目の蔵相就任を懇請されたとき、高橋はすでに政界を引退して閑雲野鶴(かんうんやかく)の生活を送っていた。

だが、国家の危機に安穏としてはいられない。高橋は俄然、老骨にむち打った。

× × ×

 明日にも有効な対策をとらなければ、猛烈な取り付け騒ぎが暴動に発展し、過半の銀行が破綻するだろうといわれた状況下だ。

4月20日に皇居で新任式を終えた高橋は、直ちに行動を開始する。

全国の銀行に22~23日を一斉休業するよう要請し、その直後から3週間のモラトリアム(※4)を実施する緊急勅令案を上奏、裁可された。

平日のモラトリアムは経済活動に与える影響が大きく、世界的にもほとんど類例がないが、高橋は断行した。

 こうした非常措置により、パニック状態は瞬く間に沈静化した。

ダルマの高橋は、転んだ金融市場を見事に起き上がらせたのである。

 

6月2日、高橋は蔵相を辞し、閑雲野鶴の生活に戻った。昭和天皇実録が書く。

 6月3日《(昭和天皇は昨日午前)侍従長珍田捨巳をお召しになり、高橋が財界の危機収拾のところ、とくに老躯(ろうく)を挺して後輩田中総理の下に大蔵大臣たるを甘んじて拝命し、寝食を忘れて奮励し、収拾の実を挙げ得たことを以て、特に勲章を賜授すべき旨を御沙汰になる》(14巻78頁※5)--

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 昭和のほか「元化」「同和」などの候補もあった

(※2) 昭和2年3月14日の衆院予算委で、片岡直温(なおはる)蔵相が「東京渡辺銀行がとうとう破綻した」と失言したことが、取り付け騒ぎの直接のきっかけとなった

(※3) 当時の金融恐慌で休業した銀行は全国三十数行に上り、宮内省の本金庫(御用銀行)だった十五銀行も経営破綻した

(※4) 法令により銀行預金など全ての債務の支払いを一定期間猶予すること

(※5) 金融恐慌に胸を痛めていた昭和天皇は高橋是清の労を深くねぎらい、旭日桐花大綬章を授与した

【参考・引用文献】

○宮内庁編「昭和天皇実録」13、14巻

○若槻礼次郎著「『昭和』の年号」(鶴見俊輔ら編「天皇百話 上の巻」〈筑摩書房〉収録)

○上塚司記「高橋是清自伝」(千倉書房)

○大島清著「高橋是清」(中央公論社)

○高橋亀吉著「昭和金融恐慌史」(講談社)

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