第79回 不信 : 治安維持法の厳罰化を強行する内閣 天皇は慎重審議を求めた 

【昭和天皇の87年】治安維持法の厳罰化を強行する内閣 天皇は慎重審議を求めた 

第79回 不信

昭和3年1月28日の歌会始。

「山色新」のお題に、昭和天皇はこう詠んだ。

 山やまの 色はあらたに みゆれとも 我まつりこと いかにかあるらむ

 即位間もない昭和天皇の、苦悩の色がうかがえる。

 当時、昭和天皇が憂慮していたのは政治の混乱だ。

大日本帝国憲法下における主権者は天皇である。

むろん、天皇が直接政治を行うのではなく、首相はじめ各閣僚が全責任を負って輔弼(ほひつ)する。

天皇を補弼する首相は、天皇の赤子である全国民に等しく利益を与える政治を行わなければならない。

ところが時の首相、田中義一は、その意識が低かった。

 中でも懸念されたのが党利・私欲の情実人事だ。

田中は政権につくや、各省次官や府県知事を次々と更迭した(※1)。

こうした人事は天皇の名で行われる。

昭和天皇は、相次ぐ人事案を黙々と裁可しながら、署名の筆を重く感じていたのではないか。

 2年6月15日、内大臣の牧野伸顕を呼んで言った。

 「最近、官吏の更迭が頻繁で、節度を失していると思う。

各省の事務次官を党人本位で更迭するのは、政務次官を別に設けた趣旨に反する。

牧野から田中総理に、人事に考慮するよう注意してほしい」

 牧野は、昭和天皇の懸念をもっともなことだと思いつつ、天皇の意思として注意すれば内閣不信任と誤解されかねないので、元老の西園寺公望を通じ、それとなく指摘することにした。

 

これを聞いた田中は8月18日、昭和天皇に拝謁し、前内閣と比べて官吏の更迭件数はそれほど多くないと弁明した。

昭和天皇は黙って耳を傾けていたが、4日後に牧野を呼んで言った。

 「田中は勘違いをしているのでないか」

 牧野は驚き、誤解が生じたことを陳謝した上で、田中に会って数の問題ではないことを改めて伝えた。

 しかし、田中はよく理解していなかったようだ。

翌3年5月、政商として悪評のあった衆院議員当選1回の久原房之助を逓信相に抜擢(ばってき)。

さすがに他の閣僚からも批判が噴出し、文相が辞表を提出する騒ぎとなった(※2)。

 すると、田中は意外な行動に出る。

昭和天皇に自らの進退伺を出したのだ。

 天皇が慰留すると見越して、政権批判が渦巻く世論を納得させようとしたのだろう。

だが、これは天皇に政治責任を負わすことにほかならない。

 昭和天皇は牧野と相談の上、進退伺を却下したものの、それを責任回避の弁明にしないよう田中に伝えた。

× × ×

 田中内閣への不信が強まる中、昭和天皇をさらに困惑させる法案が持ち出される。

 3年6月12日《内閣より書類を以て治安維持法改正緊急勅令案が上奏され、枢密院への御諮詢が奏請される。

天皇は御熟考の後、上奏書は御手許に保留され、内閣総理大臣田中義一に明日の参内をお求めになる》(昭和天皇実録15巻83頁)

 

治安維持法は、共産主義などを牽制(けんせい)するため大正14年公布の普通選挙法とほぼ同時に制定された法律だ。

 その第1条はこう規定する。

 「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」

 これを田中は、「死刑又ハ無期若(もしく)ハ五年以上ノ禁錮」に厳罰化しようとした(※2)。

しかし帝国議会に上程したものの審議未了となったため、昭和天皇の緊急勅令によって断行しようとしたのだ。

 言うまでもなく治安維持法は、国民の言論や結社の自由を制限する。

改正には十分な審議を尽くさなければならない。

ところが、田中は自ら改正案を説明することもせず、書類だけで緊急勅令を仰いだ。

昭和天皇が田中に説明を求めたのは当然だろう。

 6月27日、改正案を議題とする枢密院会議が開かれる前、臨席する昭和天皇は侍従長を通じ、枢密院議長に十分審議するよう伝えた。

 果たして会議では、政府への批判が相次いだ。

 久保田譲枢密顧問官「極刑を盛り込んだ重大法案を緊急勅令で急ぎ制定する必要があるのか」

 井上勝之助枢密顧問官「臨時議会に提出して協賛を求めるのが当然ではないのか」

 田中は言った。

 「共産主義を断固弾圧する決心を示す必要がある。再考の余地はありません」

× × ×

 

昭和天皇は、聖断を求められなければ発言しないのが慣例だ。

2日間に及んだ議論に黙って耳を傾け、どんな気持ちでいただろう。

 結局、政府案は賛成多数で可決された(※4)。

 6月29日《治安維持法改正案の御裁可に先立ち、午後一時過ぎ、内大臣牧野伸顕をお召しになる。

その際(中略)御裁可は条件付きとしたい旨の御希望を漏らされ、牧野からの奏上をお聞きになる》(昭和天皇実録15巻92頁)

 すでに枢密院の結論は出ている。

昭和天皇の最後のためらいに、牧野は同意するわけにはいかなかった。

 同日午後《二時四十三分、内閣より奏請の「緊急ノ必要アリト認メ枢密顧問ノ諮詢ヲ経テ帝国憲法第八条第一項ニ依リ勅令治安維持法中改正ノ件」に御署名になる》(同頁)

 青年君主の苦悩は尽きない。

その頃、田中が外相を兼務する中国問題が、重大は局面を迎えていた--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 田中は内閣発足後2カ月足らずで、各省次官や局長、知事、警視庁部長ら56人を異動した

 

(※2) 田中は文相を慰留し辞表を撤回させたが、その際、昭和天皇に対し、文相に言葉をかけてもらうよう求め、その言葉を文相が公言したことから、天皇を政治利用したとして激しい批判を浴びた。

なお、田中の情実人事はその後も続き、3年9月には勅任官の特別任用範囲を拡大する法案を上奏。

昭和天皇は「現内閣の人事行政を見るに党利・私利を基とし、その弊害は大なるものがある」として留め起き、田中が法案を撤回したこともある

(※3) このほか治安維持法の改正案では、「目的遂行罪」を導入して適用範囲の拡大が図られた

(※4) 当時は日本の君主制廃止を打ち出したコミンテルンの「27年テーゼ」により、非合法な共産主義活動が活発化しており、治安維持法の厳罰化を求める声も多かった。

ただ、枢密院議長が政府案賛成者の起立を求めたところ、出席した顧問官17人中5人が起立しなかった

【参考・引用文献】

○宮内庁編「昭和天皇実録」14、15巻

○伊藤之雄著「昭和天皇伝」(文芸春秋)

○「枢密院会議議事録 45巻 昭和編3」(東京大学出版会)

コメントを残す

サブコンテンツ

i2i


サイト内ランキング



アクセスカウンター


my日本

忍者画像人気記事


このページの先頭へ