第81回 即位の礼 : 世界に比類なき大礼 万歳の絶叫が大地を揺るがした

【昭和天皇の87年】世界に比類なき大礼 万歳の絶叫が大地を揺るがした

 

先導役の騎馬兵に続いて、警視庁騎馬隊11騎、近衛騎兵27騎、宮相や式部長官の馬車、

17人の八瀬童子に担がれた御羽車(おはくるま※1)、そして天皇旗をひるがえす

近衛騎兵25騎が現れ、6頭立ての儀装馬車には陸軍正装の昭和天皇が、4頭立ての儀装馬車にはローブ・モンタント礼装の香淳皇后が、沿道の群衆に会釈でこたえる。

天皇の馬車の両脇を近衛将校6騎が護衛し、後ろに軍旗を持った近衛騎兵26騎が続き、その後ろから皇族、首相、枢密院議長らの馬車が連なって進む…。

 儀仗行列の長さは594メートル。沿道に歓喜のどよめきが起こったが、即位の礼まで万歳はご法度だ。

 「荘重なる一大絵巻物をくりひろげたる如き鹵簿の華やかさよ! (中略)八千万国民の喜び極みなく、行幸を拝する御沿道はもとより、全国山間僻地(へきち)津々浦々までも翻へる日の丸の旗、昭和日本第一の歓びの日はけふぞ!」と、翌日の東京朝日新聞が書く。

× × ×

 6日は名古屋で一泊し、7日午後2時に京都に到着。

8日は御所で簡単なリハーサルを行った。

 10日、即位の礼の当日。昭和天皇は純白の束帯帛袍(はくのほう)をまとい、自らの即位を賢所に告げる賢所大前の儀にのぞんだ。

 続いて紫宸殿(ししんでん)の儀、いよいよ即位を内外に示すときだ。

 

午後2時25分、太陽の色を象徴する束帯黄蘆染御袍(こうろぜんのごほう)に着替えた昭和天皇が、紫宸殿の高御座(たかみくら)にのぼる。

日本書紀にもその名が記された、皇位を象徴する玉座である。

隣の御張台(みちょうだい)には十二単の香淳皇后がのぼり、東西の回廊などには皇族、

閣僚、有勲者、各国使節ら約2300人が整列、頭上からは晩秋の陽光が降り注いだ。

 平安絵巻さながらの、世界に比類なき大礼-。

昭和天皇は勅語を読み上げ、自らの即位を内外に宣した。

 「朕惟フニ我カ皇祖皇宗惟神ノ大道ニ遵ヒ天業ヲ経綸シ万世不易ノ丕基ヲ肇メ一系無窮ノ永祚ヲ伝ヘ以テ朕カ躬ニ逮ヘリ朕祖宗ノ威霊ニ頼リ敬ミテ大統ヲ承ケ恭シク神器ヲ奉シ茲ニ即位ノ礼ヲ行ヒ昭ニ爾有衆ニ誥ク…」

 周囲の静寂のなか、《玉音は遠く建礼門にまで達する》と、昭和天皇実録に記されている(15巻170頁)。

× × ×

 午後3時、国民が待ちに待った瞬間だ。

首相の田中義一が前庭に降りて高御座を仰ぎ見、声を限りに万歳三唱、同時に全国で号砲がとどろき、東京で、大阪で、名古屋で、日本中で万歳の嵐が巻き起こった。

 この日、各都市にあふれ出た奉祝の人並みは東京で300万人、大阪で100万人に達したと各紙は推計する。

 

読売新聞が書く。

「(皇居前では号砲と同時に)大山の崩れるが如き『万歳』の声は天も裂け地も揺るげとばかり沸き起つた、その荘厳、その森厳、後の世までも謳ひ続けよと暫しは鳴りも止まなかつた」

 大阪毎日新聞が書く。

「(大阪では万歳の後に)奉祝踊りの行列やだし、小学生の旗行列、街々に五彩七色の綾を織つて流れ出(い)で、市民の歓喜はますます高潮し日の傾きゆくをよそに祝ひ狂つた」

 東京日日新聞も書く。

「(京都では)正三時! 万歳だ、万歳だ、道を歩いてゐたものまでがみな『バンザーイ』と唱和する、市電の乗客は車掌さんの発声で万歳を三唱する、

(中略)万民挙げて万歳の三唱が全市を包んでしまつた」

 街中にあふれる笑顔と万歳。

だが、国民は知らなかった。

そのころ満州で、日本の運命を左右する重大な事件が問題化していたことを--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 八瀬童子は京都の八瀬里(現京都市左京区八瀬)の住民の古称で、古くから朝廷の儀式で、貴人の乗る駕輿(がよ)などを担ぐ役目を任されていた。

御羽車は三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)を移すときに用いる輿(こし)

【参考・引用文献】

○宮内庁編「昭和天皇実録」15巻

○高橋紘著「人間 昭和天皇〈上〉」(講談社)

○大正3年11月6~7日の東京日日新聞、東京朝日新聞、読売新聞

○同月11日の読売新聞、大阪毎日新聞、東京日日新聞

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