第82回 張作霖爆殺事件 : 満州王を爆殺! 疑惑の目は、関東軍に向けられた NO.2

【昭和天皇の87年】第82回 張作霖爆殺事件

満州王を爆殺! 疑惑の目は、関東軍に向けられた NO.2

 

 牧野は日記に書く。

 「若し事実なりとせば固(もと)より秘密の保たるべきものならざれば、国際問題とならざる前に進んで相当善後策を講ずる事当然なるべく、

(中略)何れにしても政府の当局に就き事実を確かめ、其上にて考慮を重ねる外(ほか)なかるべしと(後藤に)陳じたる…」

 昭和天皇にも、何らかの情報が伝わっていたのだろう。

夏には栃木県那須町の御用邸に長期滞在する予定だったが、今年は中止すべきだろうかと侍従長らに相談している。

 昭和天皇は、事件後に満州の対日感情が一段と悪化したことに、苦悩を深めていたのだ。

 しかし、政府から宮中に、具体的な説明はほとんどなかった。

侍従次長だった河井弥八が日記につづっている。

 「田中首相兼外相は、重要なる外交問題に付ては常に陛下に奉告する所ありや。

(中略)外交は殊に機宜の処置を取るを要すと云ふに拘(かか)はらず、最注意せざるべからず。

須(すべから)く外相今後の行動を監督すべし」

 事件をめぐり宮中は、田中への不信感をますます募らせていく。

そして、この不信感が昭和天皇の判断を誤らせ、後々まで尾を引くような、ある失敗を犯してしまうのだ--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 張作霖の側近らは日本人を病室に近寄らせなかったため、日本側が張の死を把握したのは、6月8日以降とされる

 

(※2) 打電文にある「南方派」とは蒋介石の北伐軍(国民革命軍)。

「便衣隊」とは平服のまま敵地に潜入し、謀略やゲリラ活動を行う部隊

(※3) 工藤鉄三郎は満州国皇帝となる溥儀の信頼が厚く、のちに忠臣の「忠」の字を溥儀から贈られて「工藤忠」と改名した

【参考・引用文献】

○対支功労者伝記編纂会発行「対支回顧録〈上〉」

○昭和3年6月4日の大阪朝日新聞

○稲葉正夫著「解題付録 張作霖爆殺事件」(参謀本部編「昭和三年支那事変出兵史」〈巌南堂書店〉所収)

○秦郁彦著「張作霖爆殺事件の再考察」(機関誌「政経研究 44巻1号」〈日本大学政経研究所〉所収)

○佐藤元英著「昭和初期対中国政策の研究」(原書房)

○小川平吉文書研究会編「小川平吉関係文書〈2〉」(みすず書房)

○森克己著「満州事変の裏面史」(国書刊行会)

○大江志乃夫著「張作霖爆殺」(中央公論社)

○牧野伸顕記、伊藤隆ほか編「牧野伸顕日記」(中央公論社)

○河井弥八記、高橋紘ほか編「昭和初期の天皇と宮中〈侍従次長河井弥八日記〉2巻」(岩波書店)

 

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