第83回 張作霖爆殺事件(2):覆された首相の決心 天皇は激怒し、辞表提出を求めた NO.2

 第83回 張作霖爆殺事件(2):覆された首相の決心 天皇は激怒し、辞表提出を求めた NO.2

ついに田中は厳罰方針を捨てる。

関東軍の警備上の問題として、責任者を行政処分で済ます方針に切り替えたのだ(※5)。

天皇に奏上したことを実行しないくらいなら、閣内不一致で総辞職するのがあるべき姿だが、田中はそれをしなかった。

 事件から1年余り、昭和4年6月27日、田中は最終報告のため参内した。

昭和天皇実録が書く。

 《(昭和天皇は)御学問所において内閣総理大臣田中義一に謁を賜い、張作霖爆殺事件に関し、犯人不明のまま責任者の行政処分のみを実施する旨の奏上をお聞きになる。

今回の田中の奏上はこれまでの説明とは大きく相違することから、天皇は強き語気にてその齟齬を詰問され、さらに辞表提出の意を以て責任を明らかにすることを求められる。

また田中が弁明に及ぼうとした際には、その必要はなしとして、これを斥けられる》

(16巻99頁)

 田中は、昭和天皇がこれほど激怒するとは予期していなかった。

恐懼(きょうく)して落涙し、5日後に総辞職した--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 張作霖爆殺はソ連特務機関の犯行と分析したロシア人歴史家のドミトリー・プロホロフは平成18年、産経新聞モスクワ支局長のインタビューに答え、「ソ連犯行説」を詳細に語っている。

しかし具体的な証拠に乏しく、信憑性には疑問が残る(雑誌「正論」平成18年4月号より)

 

(※2) このとき西園寺は田中に、「日本の陸軍の信用は勿論(もちろん)、国家の面目の上からいつても、(張作霖爆殺事件に関わった関東軍の参謀らを)立派に処罰してこそ、

たとへ一時は支那に対する感情が悪くならうとも、それが国際的に信用を維持する所以である」と話し、事実を究明するよう説得した

(※3) 関東庁とは遼東半島先端の租借地と南満州鉄道(満鉄)付属地などを統治する民政部門の機関で、軍事部門の機関が関東軍

(※4) 事件が起きた昭和3年6月、たまたま民政党の議員6人が現地を訪問しており、独自調査で(1)関東軍によって犯人とされた中国人がアヘン中毒者であったこと

(2)その中国人が所持していた証拠書類は日本流の漢文であったこと

(3)爆破装置の電線が現場近くの日本兵監視所から延びていたこと-など、謀略の事実をつかんでいた

(※5) のちに下された行政処分は、首謀者の河本大作が停職処分、関東軍司令官の村岡長太郎が予備役編入だった

【参考・引用文献】

○森克己著「満州事変の裏面史」(国書刊行会)

○同書所収の「河本大作大佐談」

○大江志乃夫著「張作霖爆殺」(中央公論社)

 

○牧野伸顕記、伊藤隆ほか編「牧野伸顕日記」(中央公論社)

○河井弥八記、高橋紘ほか編「昭和初期の天皇と宮中〈侍従次長河井弥八日記〉2巻」(岩波書店)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」1巻(岩波書店)

○小川平吉文書研究会編「小川平吉関係文書〈1〉」(みすず書房)

○田中義一伝記刊行会・高倉徹一編「田中義一伝記〈下〉」(原書房)

○佐藤元英著「昭和初期対中国政策の研究」(原書房)

○佐藤勝矢著「張作霖爆殺事件における野党民政党の対応」

(日本大学大学院総合社会情報研究科紀要5号所収)

○宮内庁編「昭和天皇実録」16巻

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