第84回 張作霖爆殺事件(3):渦巻く「宮中の陰謀」説 天皇はなぜ、一線を越えたのか NO.2

第84回 張作霖爆殺事件(3):渦巻く「宮中の陰謀」説 天皇はなぜ、一線を越えたのか NO.2

 

昭和天皇は最後にこう言った。

 --この事件あつて以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見を持つてゐても裁可を与へる事に決心した--

 昭和天皇は、「若気の至り」で立憲君主の枠から逸脱してしまったことを悔いていた。

しかしそれ以上に、天皇への批判の矛先が側近や重臣に向けられ、彼らの身に危険が及ぶことを恐れた。

現にこの後、過激な軍国主義者らが昭和天皇の側近、重臣らを攻撃する事件が相次ぐのだが、それは後述する。

× × ×

 ところでこの時期、昭和天皇の心を癒してくれたものが二つある。

 一つは家族だ。

政局が一段落した同月12日以降、昭和天皇は、香淳皇后と長女の成子内親王が待つ神奈川県の葉山御用邸に休暇を兼ねて行啓し、しばらく滞在した。

 7月15日《皇后・成子内親王と海岸を御散策になり、汐見御茶屋において御朝餐を御会食になる。

その後お揃いにて貝拾い等をされ、海岸を御逍遙(しょうよう)になる》(昭和天皇実録16巻107頁)

 8月4日《汐見御茶屋において皇后・成子内親王と御夕餐を御会食になり、(中略)終わって葉山町主催の花火を御覧になる》(同巻114~115頁)

 厳しい内外情勢が続く中、自然の中での家族とのふれ合いは、昭和天皇の苦悩を和らげたに違いない。

 

もう一つ、生物学研究の時間も貴重だった。

 前年の3年8月、皇居敷地内に生物学研究所がつくられ、昭和天皇は毎週土曜、顕微鏡の中に広がるミクロの世界に没頭した。

 研究対象に選んだのは、変形菌類(粘菌)とヒドロ虫類(ヒドロゾア)の分類学(※4)。

生涯にわたって研究を続け、多くの新種を発見している。

 一般にはなじみの薄いヒドロ虫類の分類学を、どうして専攻したのだろうか。

ここにも、国民への思いを読み解く鍵がありそうだ。

 先の大戦後、昭和天皇はこう話している。

 「日本には(ヒドロ虫類などの)分類学を研究してゐる者が少なかつた。

これなら競争もせず、迷惑をかけることも少ないだらうと思つて始めたのだ」--

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 張作霖爆殺事件は関東軍高級参謀の河本大作が独自に計画し、実行したとみられるが、軍司令官の村岡長太郎らも張暗殺の構想を抱いており、関東軍としての狙いは同じだったとされる

(※2) 易幟とは幟(はた)を易(かえ)ること。

張作霖時代の満州は、蒋介石の国民党政府と対立する北京政府の旗「五色旗」を使っていたが、張学良は青天白日満地紅旗に変え、国民党政府への服属を明らかにした。

この易幟により蒋介石の北伐は目的を遂げ、国民党政府が形式的に中国を統一した

 

(※3) 昭和天皇による首相問責は、事前に内大臣の牧野伸顕らに相談し、「厳然たる態度を採らるゝこと然るべく」などの助言を受けて発せられたものだが、それによる内閣総辞職の混乱を、

昭和天皇は自身の責任と受け止め、牧野らに転嫁することはなかった

(※4) ヒドロ虫類は、体内が食物を消化する広い胃腔になっている腔腸(こうちょう)動物の一綱で、定着性のポリプ型と遊泳性のクラゲ型などがある

【参考・引用文献】

○秦郁彦著「張作霖爆殺事件の再考察」(機関誌「政経研究 44巻1号」〈日本大学政経研究所〉所収)

○サンケイ新聞社「蒋介石秘録〈8〉」(サンケイ新聞社出版局)

○対支功労者伝記編纂会発行「対支回顧録〈上〉」

○小川平吉文書研究会編「小川平吉関係文書〈1〉」(みすず書房)

○粟屋憲太郎著「解説 田中内閣倒壊前後の政局と天皇・宮中」(河井弥八記、高橋紘ら編「昭和初期の天皇と宮中〈侍従次長河井弥八日記〉3巻」〈岩波書店〉所収)

○下村海南(下村宏)著「内側から見た天皇」(雑誌「再建評論 昭和24年11月号」所収)

○藤樫準二著「陛下の“人間”宣言」(同和書房)

○寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー編著「昭和天皇独白録」(文春文庫)

○宮内庁編「昭和天皇実録」16巻

 

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