第87回 首相遭難 : 凶弾に倒れたライオン宰相 尊皇の道こそ「男子の本懐」

【昭和天皇の87年】

凶弾に倒れたライオン宰相 尊皇の道こそ「男子の本懐」

第87回 首相遭難

 昭和5年10月2日、ロンドン海軍軍縮条約は、統帥権干犯問題や海軍の内部対立に揺さぶられながらも、政府案通りに批准された。

 だが、それで混乱が収まったわけではない。

 11月14日午前8時58分、朝のラッシュが静まりかけた東京駅の第4ホーム、岡山県に向かう首相の浜口雄幸が秘書官らを連れて列車に乗り込もうとしたとき、乾いた破裂音が響いた。

 一瞬の出来事である。

随行の秘書官らは、顔面蒼白(そうはく)の浜口が腹部を押さえてしゃがみ込むのを見て、何が起きたのかを知った。

至近距離から浜口を狙撃したのは21歳の右翼団体構成員。

「神聖なる統帥権を干犯したから撃った」などと供述したが、統帥権の意味をよく理解していなかったとされる。

 浜口は東京帝大病院で手術を受け、一命はとりとめたものの長期の入院治療が必要だった。

このため野党の政友会が倒閣に動き、翌年1月の議会で臨時首相代理の幣原喜重郎を激しく攻撃する。

軍縮条約を乗り越えたばかりの政局は、再び波乱含みとなった。

× × ×

 眼光鋭い風貌と頑固一徹な仕事ぶりから「ライオン宰相」と呼ばれた浜口は、元老の西園寺公望をはじめ誰もが認める尊皇家だった。

猛勉強の末に東京帝大法科を3番目の成績で卒業し、大蔵省に入省。

上司と衝突して地方に左遷され、なかなか中央に戻れなかったが、与えられた仕事は決しておろそかにしなかった。

 

政界入りしてからは蔵相や内相を歴任。

いわゆる料亭政治を嫌い、首相になってからも根回しを好まず、軍縮条約をめぐる難局には「玉砕すとも男子の本懐」と正面突破で乗り切った。

 そんなライオン宰相も、弱気になることがあったようだ。

首相在任中、こう書き残している。

 「内外重要の国務蝟集(いしゅう)して、之が解決必ずしも容易ならざるに至って、平素の修養の足らざる為か、残念ながら時に或は気餒(う)え力弛(ゆる)む様なことがないでもなかった。

此の如き場合に偶々(たまたま)麗わしき天顔を拝して優渥なる御諚を承(うけたまわ)ることがあると、其の度毎(たびごと)に精神凜乎(りんこ)として勇気百倍、何とも言うことの出来ない感じが胸中に充ち満ちて来ることを覚ゆるのである」

 尊皇の志厚い浜口は、昭和天皇の励ましを受け、勇気を奮い立たせていたのである。

× × ×

 翌年3月9日、浜口は参内し、首相復帰を内奏した。

昭和天皇は病身をいたわり、杖(つえ)の使用を許したが、浜口は拝謁前に杖を侍従に預けた。

 翌日から登院して政友会の質問に答弁する。

だが、無理がたたったのだろう。

4月4日に再入院し、総辞職を決意、その5カ月後に不帰の客となった。

 

享年六十一。

昭和天皇は、自身を支える真の愛国者を、また一人失ったのである--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

【参考・引用文献】

○波多野勝著「浜口雄幸」(中央公論社)

○浜口雄幸著「随感録」(講談社)

○宮内庁編「昭和天皇実録」18巻

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