第90回 満州事変(2) 「計画が宮中にばれた」緊迫する関東軍の密謀

昭和天皇の87年 「計画が宮中にばれた」緊迫する関東軍の密謀

第90回 満州事変(2)  2019.1.20

 参謀本部第1部長の建川美次(よしつぐ)参謀総長の金谷範三から呼び出しを受けたのは、

昭和6年9月15日である。

 建川は関西方面への出張から戻ってきたばかりだ。

慰労されると思い総長室に入ると、待っていたのは、金谷の仏頂面だった。

 「昨日、奉天総領事から電報が来た。関東軍が奉天で大陰謀を企てているようだが、

いったい何をするのかと、外務省が怪しんでおる」

 建川は目を伏せ、心の中で舌打ちした。

 「君は何か知っているのか」

 「多少は知っています」

 「困るではないかっ!」

 金谷の怒声に、建川は肩をすぼめた。

そこへ、陸相の南次郎も入室してきた。

不機嫌なのは一目瞭然である。

 「数日前、陛下のお召しで参内すると、軍紀を厳正にせよとのお言葉だった。

そこで私は、若い将校らの不穏な言動は取り締まります、外交問題には陸軍として容喙(ようかい)いたしません-と、お約束申し上げたばかりだ。それなのに何てことを-」

 うなだれる建川に、金谷がたたみかける。

 「陛下はご存じのようだ。すぐ止めさせろ」

 建川は関東軍の一部と気脈を通じている。

しかし、陸相と総長に真っ向から反対されれば逆らうわけにはいかない。

「何とかします」と言って引き下がり、慌ただしく満州へ向けて出発した。

“止め男”になるためである。

× × ×

 陸軍中央の動きは、三月事件(※1)に関わった中堅将校らを通じてその日のうちに関東軍に伝わった。

 「計画が宮中にばれた」-

 今度は謀略を主導する関東軍高級参謀の板垣征四郎と作戦主任参謀の石原莞爾が青ざめる番だ。

板垣らは9月15日深夜、同志を集めて協議したが、意見は中止派と続行派で真っ二つに分かれ、16日未明になっても結論が出なかった。

 その時の様子を、奉天憲兵隊長だった三谷清が振り返る。

 「ここまで計画を進めて来たのに止めるのは残念だ決行すべしといふ主張と、

参謀本部が既に反対してゐる以上火を付けても駄目だから中止して時期を見ようといふ主張とが対立した。

板垣さんは唯(ただ)ニヤニヤ笑ってゐた。

石原はお前達は如何(どう)するかと言ったので、私は自分達は即時決行すべし、ここまで計画が進んで来てゐるのだし、人も揃(そろ)ってゐるのだから、火を付けさへすれば何とかなると主張した」

 次第に険悪となる深夜の謀議-。

このまま意見をぶつけ合っても亀裂が深まるだけだ。

リーダー格の板垣は、机の上に鉛筆を1本立てて言った。

 「この鉛筆が右に倒れたら中止、左に倒れたら続行しよう」

 全員が固唾をのんで見守る中、鉛筆は、右に倒れた。

 中止派の将校は安堵の息を吐き、続行派の三谷らは「悲壮な気持で解散した」という。

時計の針は、午前2時を指していた(※2)。

× × ×

 だが、それで終わりではなかった。

 夜が明けてから、石原が三谷を呼び出し、こう言ったのだ。

 「もし本当にやる気があるのならやろう」

 三谷の賛同を得た石原は板垣のもとへ行き、決行を促した。

 「そうか、それではやろうではないか」

 板垣の一言で、未明の中止決定はあっさりひっくり返された。

 おそらく板垣と石原は、最初から続行するつもりだったのだろう。

ただ、陸相と参謀総長のトップ2人が反対している限り、意志堅固な同志だけで、より慎重に進めなければ成功しない。

板垣は、あえて鉛筆を右に倒すことで将校らをふるいに掛けたのではないか。

前日深夜、賛否の意見が拮抗(きっこう)したとき板垣が「ニヤニヤ笑ってゐた」のも、

それでうなずける。

 ともあれ続行するとなった以上、急がなければならない。“止め男”の建川が東京を出発し、

間もなく満州に到着するとの情報が、陸軍中央の同志からもたらされたからだ。

 「建川が着く前に決行すべし」

 同志は極秘に打電した。建川は関東軍司令官に宛てた陸相の封書を持っている。

それが軍司令官の前で開かれたら、一兵も動かせなくなるだろう。

 18日午後、板垣らは満州入りした建川を出迎え、奉天駅近くの料亭に連れ込んで酒席でもてなした。

建川は、中止の説得は明日でもできると注がれるままに杯を傾けた。

やがて板垣らは去っていき、建川はそのままいびきをかいた。

 その夜、昭和6年9月18日午後10時20分、突如として起こった爆音と砲声に、建川は飛び起きた--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 陸軍の中堅将校らによる秘密結社「桜会」が主導したクーデター未遂事件。

昭和6年3月に右翼などが都内各所で騒動を起こし、混乱に乗じて軍隊が出動、政党内閣を転覆した上、当時陸相の宇垣一成を首班とする軍事政権を樹立する計画だったが、宇垣が直前で翻意し、中止となった。

事件に関わった中堅将校の一部は、関東軍幹部とも通じていた

(※2) 関東軍の謀略を知るのはごく少数で、この時の協議には9人が参加した。

なお、板垣が倒したのは鉛筆ではなく箸(はし)で、時間は14日深夜から15日未明だったとする説もある

【参考・引用文献】

○森克己著「満州事変の裏面史」(国書刊行会)

○同書所収の「建川美次中将談」

○同書所収の「三谷清氏談」

○阿部博行著「石原完爾〈上〉」(法政大学出版局)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」(岩波書店)2巻

 

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