第93回 幣原外交(1) 驚愕の錦州爆撃 政府方針は一瞬で吹き飛ばされた

昭和天皇の87年  驚愕の錦州爆撃 政府方針は一瞬で吹き飛ばされた

■第93回 幣原外交(1)

 

 「中国政府は国際連盟理事会に対し、以下の処置が即時に取られることを要求する。

一つ、国際平和を危うくする事態の拡大を防ぐための処置。

一つ、事態発生前の状態に戻すための処置。

一つ、中国に与えられるべき損害賠償の程度などを定める処置-」

 昭和6年9月21日、中国側が国際連盟に柳条湖事件の解決を訴えたときの、要求内容である。

 これに対し日本側は、問題解決は日中の直接交渉によるべきだと主張。

翌22日にジュネーブで開かれた緊急理事会で中国側と激しく意見を戦わせた。

× × ×

 当時の国際世論は、言うまでもなく日本に不利である。

しかし外相の幣原喜重郎には、事態を好転させる自信があった。

中国側の訴えに、不純な点がみられたからだ。

 中国は当時、深刻な分裂状態にあった。

南京に政府をおく蒋介石の独裁傾向に汪精衛らが反発し、広東に臨時政府をつくって対立していた。

そこで蒋介石は柳条湖事件を奇貨とし、広東政府に「統一団結」を提案する一方、国際連盟を舞台とした外交を主導することで政権強化を図ろうとしたのである。

 幣原は、蒋介石の狙いが「今次事件ヲ利用シ政権確保ニ資セム」ことだと見抜いていた。

それを緊急理事会で明らかにし、あわせて日本に野心のないことを示せば、対日批判に傾く国際世論も和らぐだろう。

ただし問題は、政府の不拡大方針を無視する関東軍の手綱を引けるかどうかだ。

満州の戦火がこれ以上拡大すれば、どうしたって“野心”を疑われてしまう。

 連日の閣議で、幣原は陸相の南次郎に、不拡大方針の徹底を強く迫った。

南が「拡大せしめない見込み」とする書き付けを持ってくると、「見込みではいかん」とはねつけた。

 このとき、幣原の外交方針を側面から支えたのが昭和天皇だった。

昭和天皇実録によれば9月22日、《天皇は若槻(礼次郎首相)に対し、事態の不拡大という閣議の方針を貫徹するよう努力すべき旨を御懇諭になる》(18巻92頁)

 昭和天皇の意向が閣議の場で伝えられると、陸軍中央の強硬論も一気にトーンダウンする。

政府は改めて不拡大方針を確認し、24日に声明を発表。

関東軍の出動は軍事占領が目的ではなく、在住邦人と満鉄に対する脅威が除かれ次第、満鉄付属地内に撤兵すると明らかにした。

 この声明により、国際連盟の対日批判は一気に和らいだ。

理事会は日本政府を信頼し、日中両国の通常関係回復に期待して30日に休会する。

幣原は、蒋介石が狙った国際連盟の直接介入を阻止したのである。

 だが、幣原の外交的勝利は、関東軍によって、またも打ち壊されてしまう。

× × ×

 8日後の10月8日、満州南西の古都、錦州(現中国遼寧省錦州市)の上空に、12機の軍用機が飛来した。

 錦州には当時、奉天を失った張学良政権の臨時政府があり、多数の軍民が流入していた。

彼らは、軍用機の翼に書かれた日の丸を見ても、とくに動揺しなかっただろう。

それより前、日本政府が不拡大方針の声明を出したことは、現地でも大きく報じられていた。

 しかし、軍用機が錦州駅の上空に達したとき、彼らは驚愕の目を見開いた。

軍用機が駅周辺の兵営をめがけて、爆弾を落としはじめたからだ。

 地を揺るがす爆音、巻き上がる爆煙-。

 一部は目標を逸れて市街地に落下し、米国領事館にも被害が出た。

 軍用機に搭乗し、爆撃を指示したのは関東軍作戦主任参謀、石原莞爾である。

石原は司令部に戻ると言った。

 「(偵察に)行ってみたら向こうのやつがボンボン撃ちゃァがるから、われわれ爆弾を積んでいったし、ちょっと落としたよ」

 司令部内は騒然となった。

関東軍の監視役を兼ねて派遣されていた参謀本部員が、「なぜ行く前に言ってくれなかったのか」と詰め寄ったが、石原は「君らに何を言う必要があるのか」と相手にしなかった。

 何も聞かされていなかったのは、軍司令官の本庄繁も同じだ。

本庄は翌朝、「昨夜は眠れなかった。大変なことをやった」と嘆いたという。

× × ×

 石原の狙いは中国軍の兵営ではなく、政府の不拡大方針を吹き飛ばすことだ。

不幸にしてそれは、見事に成功したといえる。

 錦州爆撃を受け、日本に融和的だった国際連盟の空気は一変した。

休会中の理事会が1日繰り上げて再開され、日本に3週間以内の撤兵完了を求める決議案を作成。

日本に飲める内容ではなく、交渉は暗礁に乗り上げた。

決議案は24日、全会一致を得られずに否決されたものの、反対票は日本1国だった。

 急速に孤立する日本外交。

それを憂慮したのは、昭和天皇である。

 3日後の27日、昭和天皇は内大臣の牧野伸顕に《経済封鎖を受けたときの覚悟、もし列国を

相手として開戦したときの覚悟とその準備について、侍従武官長を通じて陸海軍大臣に質したき旨を述べられる》と、昭和天皇実録は記す(18巻108頁)。

開戦の恐れにまで言及しなければならないほど、事態は悪化していた。

 その頃、石原らの工作は、第2段階に入っていた。

満州を中国から分離し、独立国家を建設するため、ラストエンペラーで知られる清朝最後の皇帝、溥儀(ふぎ)を担ぎ出そうというのだ--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

【参考・引用文献】

○昭和6年9月22、23、25日の東京朝日新聞・朝夕刊

○種稲秀司著「満州事変における幣原外交の再検討〈I〉」(政治経済史学会編「月刊政治経済史学」526号所収)

○幣原喜重郎著「外交五十年」(原書房)

○阿部博行著「石原莞爾〈上〉」(法政大学出版局)○中村菊男著「昭和陸軍秘史」(番町書房)

○倉山満著「満州事変期幣原外交の再検討」(国士舘大学日本政教研究所「政教研紀要」27号所収)

○種稲秀司著「満州事変における幣原外交の再検討〈I〉」(政治経済史学会編「月刊政治経済史学」526号所収)

○宮内庁編「昭和天皇実録」18巻

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