第99回 ダルマ蔵相の積極財政

昭和天皇の87年  2019.2.23

第99回 ダルマ再登場

関東軍が満州事変を拡大し、それを国民が支持した背景の一つに、未曾有の経済危機、すなわち昭和恐慌がある。

犬養毅内閣にとって、抜本的な経済対策こそ待ったなしの内政課題だ。

 昭和6年12月12日夜、昭和天皇から組閣を命じられた犬養は、皇居から退出するとすぐ、東京・赤坂表町にある高橋是清の自宅へ向かった。

昭和2年の金融恐慌を大胆な施策で乗り切った、七転び八起きの「ダルマ」こと高橋を引っ張り出さなければ、昭和恐慌で転んだ日本経済を立て直せない。

 「国家の危機です。ぜひ、蔵相を引き受けていただきたい」

 「確かに危機だ。どれだけできるか分からんが、とにかく、やってみましょう」

 犬養の頼みを、高橋は二つ返事で引き受けたといわれる。

高橋、このとき77歳

4回目の蔵相就任である。

× × ×

 高橋には分かっていた。

昭和恐慌の元凶は、前内閣が5年1月に強行した金解禁だ(※1)。

世界大恐慌の真っただ中で金本位制に復帰したため、たちまち金と正貨が海外に流出し、激しいデフレが巻き起こった。

ここで金融政策を180度転換しなければ、日本経済に明日はない。

 老骨にむち打った高橋の行動は素早かった。

 蔵相就任を了承した翌日、12月13日に皇居で新任式を終えると、その日のうちに金輸出再禁止の大蔵省令を発令。

15日に参内して昭和天皇に金本位制からの離脱方針を説明し、17日、日本銀行券と金との兌換(だかん)を禁止する緊急勅令の公布にこぎつけた。

 こうした措置により、前年の金解禁で深刻化した金の流出を食い止めると、7年には日銀の金利を3度引き下げて低金利政策を推進。

総額20億円を超える財政史上最高額の予算案をつくり、歳入不足は日銀引き受けによる赤字公債で補填(ほてん)した。

 ここに高橋は、前蔵相の井上準之助が固執した緊縮財政と高金利政策を大転換したのだ。

× × ×

 高橋の積極財政は、先の大戦後に資本主義各国が採用するケインズ理論を先取りしたと評されている。

その効果は目覚ましく、井上蔵相時代の昭和6年には0・4%だった実質経済成長率が、高橋蔵相時代は7年4・4%、8年10%と跳ね上がった。

円安によって輸出も増大し、日本は世界大恐慌からいち早く脱出する。

 高橋が重んじたのは、理論よりも現実だった。

それは、こんな言葉にもあわられている。

 「一足す一が二、二足す二が四だと思いこんでいる秀才には、生きた財政は分からないものだよ」

 時は移り、平成の時代になって、この高橋財政を参考にした経済政策がある。

アベノミクスだ。

平成24年12月、それまでの民主党内閣から政権を奪還した自民党の安倍晋三内閣(第2次)は、大胆な金融緩和と財政政策により景気を拡大。

1年足らずで日経平均株価を倍増させるなどした。

 だが、アベノミクスによる景気回復を一般国民がなかなか実感できなかったように、高橋財政の効果が庶民レベルにまで浸透するには、時間がかかった。

 それを待ちきれない者たちが、過激な行動に走る--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 金本位制に復帰するため、金の輸出禁止を解除する

【参考・引用文献】

○木堂先生伝記刊行会・鷲尾義直編「犬養木堂伝〈中〉」(原書房)

○今村武雄著「三大宰相列伝 高橋是清」(時事通信社)

○大島清著「高橋是清」(中央公論社)

○岩田規久男著「デフレの経済学」(東洋経済新報社)

○津本陽著「生を踏んで恐れず-高橋是清の生涯」(幻冬舎)

 

コメントを残す

サブコンテンツ

i2i


サイト内ランキング



アクセスカウンター


my日本

忍者画像人気記事


このページの先頭へ