第100回 テロの嵐 一人一殺! 政財界を震撼させた血盟団の凶弾

昭和天皇の87年

一人一殺! 政財界を震撼させた血盟団の凶弾

第100回 テロの嵐

昭和6年秋から7年春にかけて、日本国内には、憲政を揺るがすテロリズムの嵐が吹き荒れた。

 まずは陸軍、急進派将校らによる十月事件だ。

 陸軍中枢が関与したクーデター未遂事件(三月事件)を起こした秘密結社「桜会」のメンバーらは6年10月、満州事変に呼応した軍事クーデターを再び計画。

歩兵10個中隊、機関銃2個中隊を動員して全閣僚を襲撃するとともに、警視庁などを占拠し、陸軍中将の荒木貞夫を首班とする軍事政権を樹立しようとしたが、直前に計画が陸軍首脳に漏れ、10月17日に首謀者12人が憲兵隊に検束された(※1)。

 未遂に終わったものの、この事件が政党内閣に与えた影響は大きかった。

高まる政党批判に焦燥した閣僚の一部が政友会と民政党の大連立を画策し、閣内不一致で若槻礼次郎内閣が総辞職する主因となる。

× × ×

 不穏な動きは右翼活動家にも伝染した。

筆頭格は、日蓮宗僧侶の井上日召(にっしょう)である。

 政党と財閥が結託して私利私欲をむさぼり、国家の大本を誤っていると唱える日召のもとには、不況にあえぐ農漁村の青年や帝国大生らが集まった。

彼らは当初、陸海軍の過激将校らと連携し、非常手段による昭和維新の断行を目指したが、十月事件が不発に終わるや、彼らだけで維新の先駆けになろうと決意する。

標的にしたのは、財界の巨頭たちだ。

 昭和6年の秋以降、民政党政権による金解禁政策が近く崩壊するとみた三井、三菱、住友など財閥系銀行はドルの思惑買いに走り、昭和恐慌で一般国民が苦しむ中、巨額の利益を上げた。

日召と青年たちが激高したのは言うまでもない。

青年たちは「一人一殺」を掲げて血盟団を結成。

日召が入手したブローニング拳銃を握りしめ、テロに走った。

 昭和7年2月9日午後8時、民政党議員の選挙集会が開かれていた東京都内の小学校前で、最初の銃弾が発射される。

応援弁士として駆けつけた前蔵相、井上準之助の背後から血盟団員の小沼正(当時20歳)が近づき、至近距離から3発撃ち込んだのだ。

金解禁政策を主導した井上は、苦悶の表情で息絶えた。

 続く銃声は同年3月5日午前11時半、白昼のオフィス街で響いた。

東京・日本橋にある三井銀行本店に出社した三井財閥の総帥、団琢磨の胸に向けて、玄関前で待ち伏せしていた血盟団員の菱沼五郎(当時19歳)が拳銃を発射。

団は身体をくの字に曲げ、やがて絶命した。

× × ×

 財界巨頭のシャツを鮮血に染め、戦前の思想史を暗黒に塗ったテロの嵐-。

6日後の3月11日に黒幕の日召が逮捕されたことで、3人目の犠牲者が出なかったのは、むしろ不幸中の幸いと言うべきだろう。

血盟団の暗殺リストには政財界の要人のほか、元老の西園寺公望、内大臣の牧野伸顕ら宮中側近も含まれていたからだ(※2)。

 なお、暗殺者となった青年たちは、素行不良だったわけでも、無鉄砲だったわけでもない。

真面目で純情すぎるがゆえに、昭和恐慌で露呈した社会の矛盾に我慢できなかった。

 井上準之助を射殺した小沼正は動機について、「旧正月帰郷した時、百姓の窮乏見るに忍びず、これは前蔵相のやり方が悪かったから殺意を生じた」と自供している。

 犯行の3日前、小沼の母が不穏な様子を危ぶみ、「おまえたちは、みんなして天皇さまに弓を引く、おそろしい考えをもってるそうじゃないか」と詰め寄ったが、小沼の決心は変わらなかった。

 「おっかさん、まちがったことなんか、何もしてはいない」

 そう言って実家を飛び出した小沼の胸中には、陛下に弓を引くのではない。

弓を引いている逆臣どもを誅殺するのだ-という、悲壮な思いがあったのである。

× × ×

 血盟団だけではない。

軍部の急進派将校らが目指したのも、昭和天皇を中心とする全体主義国家だ。

しかし、彼らは昭和天皇がどんな気持ちでいるかを、考えようとしなかった。

 十月事件のあったころ、満州事変を起こした関東軍の内部では、こんな虚言まで流れていたという。

 「陸軍大臣が御裁可を仰ぐために参内したところ、三時間待たされた。

どうしてそんなに待たされたかと思つてきいたところが、陛下は内大臣、侍従長を相手に麻雀をしてをられた」(※3)

 現実の昭和天皇は、軍部などの暴走による憲政の崩壊を憂慮し、一時不眠状態にあった。

元老の西園寺公望は7年2月にこう語っている。

 「陛下は、陸軍の跋扈(ばっこ)について頗(すこぶ)る御心配で、実は夜もろくろくお休みになれないらしく、十一時頃侍従を侍従長の家に遣はされて、『すぐ来てくれ』といふやうなお言葉もあつたとか、まことに畏れ入つた話である…」

 そして、同年5月15日、憲政の常道にピリオドを打つ重大事件が起きる--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 十月事件に対し、陸軍幹部の一部からは厳罰処分を求める声も上がったが、首謀者の橋本欣五郎(陸軍中佐)が20日間の謹慎処分にとどまるなど、あいまいな処分となった

(※2) 血盟団事件では井上日召をはじめ14人が逮捕され、日召と実行犯の小沼正、菱沼五郎の3人が無期懲役、東京帝国大生の四元義隆ら11人に懲役3~15年の実刑判決が下されたが、昭和15年の恩赦で全員出獄した

(※3) この虚言を耳にした侍従長の鈴木貫太郎は、「麻雀なんかといふものは、見たこともない」とあきれたという

【参考・引用文献】

○秦郁彦著「軍ファシズム運動史」(原書房)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」2巻(岩波書店)

○血盟団事件公判速記録刊行会「血盟団事件公判速記録」上・中・下巻

○中島岳志著「血盟団事件」(文芸春秋)

○岡村青著「血盟団事件」(三一書房)

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