第110回 政局 検察のでっち上げ? 政財界を揺るがした帝人事件の謎 

昭和天皇の87年

検察のでっち上げ? 政財界を揺るがした帝人事件の謎

第110回 政局

「『番町会』を暴く」-

昭和9年1月19日の時事新報に掲載された、連載記事のタイトルだ。

番町会とは、日本経済連盟会長の郷誠之助が主宰する実業家グループで、東京・麹町(こうじまち)番町にある郷の私邸に毎月集まったことから、その名がついた。

連載記事は、こんな調子で書きはじめる。

「何が目覚しいといつて、近頃番町会の暗躍位(くらい)目覚しいものはない。

寧(むし)ろ凄じいと云つた方が良からう。

いや凄じいでもまだ足らぬ。全く戦慄に値するものがある…」

以後、3月まで続く連載記事が暴いたのは、帝国人造絹糸(帝人)株の売買をめぐる疑惑である。

帝人は昭和2年の金融恐慌で破綻した鈴木商店の系列会社で、株の過半数を台湾銀行が担保として所有していた。

この帝人株が値上がりしたことから、民間で取得しようとする動きが強まり、8年6月、生保会社などのグループが買い受けた。

その際、売買を周旋した番町会の一部メンバーらが暴利をむさぼり、政界や官界に賄賂をばらまいた-という内容だ。

この疑惑は、斎藤実内閣の倒閣を画策する勢力に格好の攻撃材料を与えた。

9年2月以降、政友会の一部や国民同盟など少数野党が議会質問で政府を追及。

首相の座を狙う枢密院副議長(元大審院検事総長)、平沼騏一郎が影響力を持つ検察当局も捜査に乗り出し、商工相や鉄道相、大蔵事務次官、帝人社長、台銀頭取らが次々に検束された。

取り調べは過酷を極め、ほとんど検察の筋書き通りの“自白”をさせられたという。

× × ×

事件はその後、異例の展開をたどる。疑惑を報じた時事新報の社長が殺害され、主任検事も病死した(※1)。

そして裁判では、事件そのものが検察のでっち上げとされ、被告16人全員に無罪判決が下るのだ。

倒閣が目的の、検察ファッショとまで批判された。

だが、でっち上げと分かるのは3年後で、閣僚から検挙者を出した斎藤実内閣はひとたまりもなかった。

昭和9年7月、内閣は混迷のうちに総辞職する。

海軍重鎮の斎藤は穏健な国際派で、昭和天皇の信頼も厚かった。

首相在任中、昭和恐慌後の経済立て直しや農村救済に尽力。

満州国の承認と国際連盟脱退は失政といえるが、以後は英米との関係改善に努めた。

昭和天皇は、斎藤の退陣を惜しんだことだろう。

この穏健路線を、何とか引き継いでもらいたい-。

慣例上、次期首相を天皇に推薦するのは最後の元老、西園寺公望の役目だ(※2)。

昭和天皇は西園寺に、首相選定にあたり(一)憲法の精神を遵守すること(二)外交にも内政にも無理をしないこと-を求めた。

× × ×

それより前、斎藤内閣が総辞職するひと月以上も前から、西園寺の周辺は慌ただしくなっていた。

首相退陣を見越した政党、軍部、右派勢力などが、自らに有利な後継首相を選んでもらおうと、陰に陽に運動しだしたからだ。

元老私設秘書の原田熊雄によれば、議会第一党の政友会幹部らは憲政の常道を大義名分とし、「政友会に政権が来なければ次の内閣には大臣を送らない」と強弁した。

陸海軍の一部は「平沼(騏一郎枢密院副議長)が最も適当だ」といい、一部は「宇垣(一成朝鮮総督)でいいじゃないか」と訴えた。

首相の斎藤は「どうしても岡田(啓介海軍)大将が一番適当だと思う」という考えである。

宰相の椅子をめぐって渦巻く権謀術数、飛び交う誹謗中傷…。

昭和天皇から憲法遵守の方針などを求められた西園寺は、一人で決定することに自信が持てなかったのだろう。

歴代首相ら重臣たちと協議し、次期首相を選ぼうとする。

× × ×

7月3日に斎藤内閣が総辞職した翌日、宮中に西園寺をはじめ斎藤、元首相の若槻礼次郎、高橋是清、清浦奎吾、枢密院議長の一木喜徳郎、内大臣の牧野伸顕が集まった。

「陛下の思し召しは、どこまでも憲法の精神を尊重すること、外交でも内政でも無理をしないことである。誰がふさわしいか、意見をききたい」

こう述べた西園寺は、まず斎藤に発言を促した。

「自分は当面の責任者であって、口を出すべき筋合いではないと思います」

「遠慮することはない。あなたは一番事情に通じているのだから、忌憚のない意見を述べてほしい」

「それならば自分の考えは、岡田大将です。

国際的にも内政的にも、政府の方針を急激に変更してはならず、岡田大将ならば最も適当だと思います」

斎藤の意見に、若槻や高橋らも同調した。

清浦は宇垣の名をあげたが、固執はしなかった。

西園寺が最後に言う。

「それでは、全会一致で岡田に決したということを陛下に上奏する」

岡田は海軍穏健派の筆頭だ。

昭和天皇は同日、《公爵西園寺公望に謁を賜い、海軍大将岡田啓介を後継首班に推薦する旨の奉答を受けられる。

西園寺に対しては、暑中にも拘(かか)わらず老躯(ろうく)を提げて上京したことを多とし、慰労の御言葉を賜い、併せて岡田ならば最も安心すると述べられる》(昭和天皇実録21巻104頁)--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 時事新報社長の殺害と主任検事の病死は、帝人事件とは無関係とされる

(※2) 大正天皇が即位した際、「至尊匡輔(きょうほ)の勅語」を与えられた元老は山県有朋、松方正義、井上馨、大山巌、桂太郎、西園寺公望の6人がいたが、西園寺以外はいずれも大正時代に死没した

【参考・引用文献】

○前島省三著「帝人事件とその後景」(立命館大学法学会編「立命館法学 昭和30年11号」収録)

○松浦正孝著「『帝人事件』考」(日本政治学会編「現代日本政官関係の形成過程」収録)

○有竹修二著「番町会と帝人事件」(昭和40年の別冊中央公論「経営問題」収録)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」(岩波書店)3巻

○宮内庁編「昭和天皇実録」21巻

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