第113回 排撃(1):「わが国体を破壊」 言論圧殺を助長した天皇機関説事件

昭和天皇の87年

「わが国体を破壊」 言論圧殺を助長した天皇機関説事件

第113回 排撃(1)

昭和10年2月18日の貴族院本会議。

陸軍予備中将の男爵議員、菊池武夫の演説が波紋を呼んだ。

 「憲法上、統治の主体が国家にあると云ふことを断然公言するやうなる学者著者と云ふものが、一体司法上から許さるべきものでございませうか、是は緩漫なる謀反になり、明かなる反逆になるのです」

 菊池が「反逆」という、尋常でない言葉で批判したのは東京帝大名誉教授の貴族院勅選議員、

美濃部達吉が主唱する「天皇機関説」のことだ(※1)。

統治権の主体は国家にあり、天皇は国家の最高機関であるとする美濃部の学説に対し、菊池は「天皇を機関とは何事か」「わが国体を破壊するもの」などと噛(か)みついた。

 政府側は、「斯かる点は学者の議論に委(まか)して置くことが相当」と答弁して深入りしなかったが、問題はそれでおさまらなかった。

政権がとれずに政府批判を強める議会第一党の立憲政友会などが、倒閣に向けて走り出したのである。

 以後、天皇機関説は国体に反すると主張する野党議員は、厳格に処分しようとしない岡田啓介内閣を責め立て、議会に機関説排撃の嵐が吹き荒れた。

岡田の回顧録によれば、こんな不毛な質疑が何度も繰り返されたという。

 議員「総理は日本の国体をどう考えているのか」

 岡田「憲法第一条に明らかであります」

 議員「では憲法第一条はなんと書いてあるか」

 岡田「それは第一条に書いてあるとおりであります」

× × ×

 立憲君主の立場を重んじる昭和天皇は、美濃部の学説を支持していた。

岡田に「天皇は国家の最高機関である。機関説でいいではないか」と漏らし、岡田も穏便におさめようと努力したが、排撃の声は強まる一方だ。

 政府は8月3日、機関説を「我が国体の本義を愆(あやま)るもの」とする声明(第1次国体明徴声明)を発表、事態の収束をはかったが、議会の追及はやまず、10月15日に「厳に之を芟除(さんじょ)せざるべからず」との声明(第2次国体明徴声明)を出して排除した。

この間、美濃部は不敬罪で告発され、貴族院議員の辞職に追い込まれている。

 そもそも美濃部の天皇機関説は、明治45年刊行の著書「憲法講話」に書かれたものだ。

それから20年以上もたって排撃するファッショの高まりを、昭和天皇は深く嘆いたことだろう。

 同年4月、侍従長にこう漏らした。

 「美濃部のことをかれこれ言ふけれども、美濃部は決して不忠な者ではないと自分は思ふ。

今日、美濃部ほどの人が一体何人日本にをるか。

あゝいふ学者を葬ることは頗(すこぶ)る惜しいもんだ」

× × ×

 天皇機関説はなぜ、これほど排撃されたのか。

東京日日新聞の主筆を務めた阿部真之助が、当時の雑誌記事にこう書いている。

 「政友会がこの問題を取り上げたのは、国体精神の明澄ならざるを憂へたといふよりは、恰(あた)かも問題となつたのを好期として、倒閣の道具に使つたものと、一般に信ぜられてゐる」「それは政権に目が眩(くら)んだ政党の自殺行為であつた

 天皇機関説とは対極にある天皇主体説を例に、改めて問題点を整理してみよう。

 統治権の主体は国家にあり、天皇は国家の最高機関であるとする機関説は、天皇の行政権を補弼(ほひつ)する閣僚と、天皇の立法権に協賛(同意)する議会の役割を重視する。

一方、統治権の主体を天皇に求める主体説は、天皇大権を唯一、絶対、無制限の権力とし、閣僚と議会の役割を軽視する。

東日主筆の阿部が喝破したように、議会における機関説排撃は、まさに「政党の自殺行為」だったのだ。

 議会だけではない。一般社会も心中を強いられた。

機関説を主唱した美濃部の著書が発禁処分となり、美濃部が貴族院議員の椅子を追われたことで、言論の自由をおびやかす風潮が一気に強まっていくのである--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 天皇機関説は、前宮内大臣で枢密院議長の一木喜徳郎らも提唱しており、当時の通説だった。

一方、陸軍はもともと機関説を批判しており、議会での追及が青年将校らを刺激して排撃の声が一段と強まった

【参考・引用文献】

○昭和10年2月19日の官報号外「第六十七回帝国議会 貴族院議事録速記録第十号」(国立国会図書館所蔵)

○岡田貞寛編「岡田啓介回顧録」(毎日新聞社)

○宮内庁編「昭和天皇実録」22巻

○原田熊雄述「西園寺公と政局」(岩波書店)4巻

○阿部真之助著「美濃部問題と岡田内閣」(雑誌「改造」昭和10年5月号収録)

○富永健著「天皇機関説と国体論」(関西憲法研究会発行「憲法論叢」平成17年12号収録)

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