第114回 :排撃(2)狙われた重臣たち 天皇は「お声を上げてお泣き遊ばした」

昭和天皇の87年

狙われた重臣たち 天皇は「お声を上げてお泣き遊ばした」

第114回 排撃(2)

「重臣ブロックの指導精神は連盟脱退、軍縮問題の実例に見ても判るやうに今や清算すべき時に直面して居る、それは欧米追従主義で御都合主義、穏健主義だ」

いわゆる天皇機関説問題で東京帝大名誉教授の美濃部達吉が不敬罪に問われ、帝国議会が揺れに揺れた昭和10年6月、立憲政友会の有力議員で、派閥の領袖(りょうしゅう)だった久原房之助が新聞に寄せた談話だ。

親軍派の久原は、天皇機関説をばっさり斬り捨てる一方、その剣先を「重臣ブロック」、すなわち昭和天皇の側近たちに向けた。

 「この際政友会は殊更に更正などをする必要はない、更正しなければならぬのは重臣ブロックだ、政友会は伝統の積極政策で一路邁進(まいしん)するのみだ」

久原らは、昭和天皇が平和主義であるのは側近たちがブロックして「真実」を伝えないからだと喧伝(けんでん)した。

まずやり玉に挙げたのは、美濃部と同じく天皇機関説を唱えた枢密院議長(前宮内大臣)、一木喜徳郎である。

陸海軍の一部も一木を批判したため、もともと体調を崩していた一木は元老の西園寺公望らに、辞職したいと訴えるようになった。

昭和天皇は嘆息した。

3月11日《(昭和天皇は侍従武官長に)一木には非難すべき点のない旨を仰せになり、その根拠として同人の宮内大臣時代の事例を挙げられる》(昭和天皇実録22巻28頁)

7月9日《侍従武官長をお召しになり、天皇機関説を明確な理由なく悪いとする時には必ず一木等にまで波及する嫌いがある故、陸軍等において声明をなす場合には、余程研究した上で注意した用語によるべきとのお考えを述べられる》(同巻77頁)

昭和天皇は先の大戦後、側近らにこうも述べている。

「重臣『ブロック』とか宮中の陰謀とか云ふ、いやな言葉や、これを真に受けて恨を含む一種の空気が、かもし出された事は、後々迄(まで)大きな災を残した。

かの二・二六事件もこの影響を受けた点が少くないのである」(昭和天皇独白録より)

× × ×

そのころ警視庁では、機関説排撃の真の狙いは一木のほか、内大臣の牧野伸顕を排除することだとみて警戒を強めていた。

牧野は、自身への批判が昭和天皇に累を及ぼさないかと、苦悩したことだろう。

6月18日に元老、西園寺公望の別邸を訪れ、宮内省在職15年に及ぶこと、健康にも不安があることを理由に加えて辞意を示唆している。

西園寺は取り合おうとしなかったが、牧野の決意は固かったようだ。

政府の2度にわたる国体明徴声明(※1)で天皇機関説問題が一段落した11月20日、牧野は内大臣府秘書官長の木戸幸一に、正式に辞意を伝えた。

同じ頃、一木も辞職したいと訴えており、困惑した木戸が西園寺に相談したところ、こんな答えが返ってきた。

「事情はよく判ったが、実は自分ももうやがて八十八で、最近は朝云ったことを午後は忘れると云ふ様な次第で、(中略)そう云ふ話なら先づ私を御免蒙らして貰いたいものだ」

もちろん、3人一緒に辞めるわけにはいかない。

西園寺は「誠に御同情に堪へないがお互に死ぬ迄(まで)やらうじゃないか」と木戸に言づてたが、結局、牧野だけは12月26日、病気を理由に辞職した。

その日、内大臣更迭の上奏を裁可した直後、昭和天皇は「お声を上げてお泣き遊ばした」と、侍従の入江相政(すけまさ)が日記に書いている。

ファッショが進む苦難の時代、皇室の藩屏として、命を狙われるほど尽くしてくれたことへの感謝と、最も頼りにしていた相談相手を失うことへの寂寞(せきばく)とが、一気に押し寄せてきたのだろう。

後任の内大臣は、海軍重鎮の前首相、斎藤実と決まった。

海外にも広い交友関係を持つ温厚な人物だ。

しかし、その斎藤も、就任わずか3カ月足らずで非業の死を遂げるのである--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 政府として、天皇機関説は国体に反すると否定し、統治権の主体は天皇であると明示した声明。

昭和10年8月3日の「国体明徴に関する政府声明」(第1次)は、「大日本帝国統治の大権は厳として天皇に存すること明かなり。

若し夫(そ)れ統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使する為の機関なりと為すが如きは、是れ全く万邦無比なる我が国体の本義を愆(あやま)るものなり」とし、政府の立場を明らかにした。

しかし機関説排撃の空気は収まらず、政府は同年10月15日の第2次声明で、「漫(みだ)りに外国の事例・学説を援いて我国体に擬し、統治権の主体は天皇にましまさずして国家なりとし、天皇は国家の機関なりとなすが如き、所謂(いわゆる)天皇機関説は、神聖なる我が国体に悖(もと)り、其の本義を愆(あやま)るの甚しきものにして厳に之を芟除(さんじょ)せざるべからず」と、より踏み込んで排撃する姿勢を示した

【参考・引用文献】

○阿部真之助著「美濃部問題と岡田内閣」(雑誌「改造」昭和10年5月号収録)

○富永健著「天皇機関説と国体論」(関西憲法研究会発行「憲法論叢」平成17年12号収録)

○官田光史著「国体明徴運動と政友会」(日本歴史学会編「日本歴史」平成16年5月号収録)

○寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー編著「昭和天皇独白録」(文芸春秋)

○牧野伸顕記、伊藤隆ら編「牧野伸顕日記」(中央公論社)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」(岩波書店)4巻

○「木戸幸一日記」(東京大学出版会)上巻

○入江為年監修「入江相政日記」(朝日新聞社)1巻

○宮内庁編「昭和天皇実録」22巻

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