第118回 二・二六事件(2) 反乱軍が小銃を乱射

昭和天皇の87年

反乱軍が小銃を乱射 応戦した陸軍教育総監は、愛娘の前で殺害された

第118回 二・二六事件(2)

夜明け前の帝都に、雪が舞っている。

ビルも路地も白一色に染まり、しんと静まっている。

 昭和11年2月26日午前5時、東京・赤坂表町の高橋是清蔵相私邸-。

周囲の静寂を、近衛歩兵第3連隊の下士官兵137人が破る。

中橋基明中尉を先頭に、突撃隊20人余が内玄関を破壊し、邸内になだれ込んだ。

 蔵相の高橋は、2階の寝室にいた。

それまでの人生を何度も転んでは起き上がり、日本経済も起き上がらせてきた「ダルマ」の高橋だが、このときは、階下に殺気だった将兵の声が響いても、布団から起き上がろうとしなかった。

 中橋ら将兵が寝室に入り込んできたとき、高橋は、薄目を開けてあおむけに寝ていた。

中橋が「天誅(てんちゅう)!」と叫び、布団をはねのけたが、高橋は寝たままである。

その腹部に向けて数発の銃弾が撃ち込まれ、軍刀が振り下ろされた。

 のちに中橋は、軍法会議でこう語っている。

 「高橋蔵相は遂に即死しましたが私が初め天誅と叫んでも高橋蔵相は布団の中で従容として薄く目を開き黙つて居りました」

× × ×

 それからおよそ1時間後、東京・杉並の渡辺錠太郎陸軍教育総監私邸に、歩兵第三連隊の将兵約30人が軍用トラックで乗りつけ、包囲態勢をとった。

 すでに夜は明けている。

指揮をとる安田優少尉を先頭に数人が敷地内に入り、玄関を破壊しようとしたところ、中から拳銃の発砲を受けて3人が負傷した。

 現役将官の渡辺は、射撃の名手でもある。

従容として死を迎えた高橋とは異なり、果敢に応戦した。

 安田らは玄関からの侵入をあきらめ、裏口に回って邸内に入り込んだ。

すると、ある部屋のふすまの前で渡辺の妻、鈴子が立ちふさがり、「それが日本の軍隊のやり方ですか」と大声で叫んだ。

 「閣下の軍隊ではありません。陛下の軍隊です」

 そう言って安田は鈴子を押しのけ、ふすまを開けた。

はたしてそこに、渡辺がいた。

 途端に、無数の銃声が響く。

渡辺は布団をたてに伏射し、安田らは軽機関銃を乱射した。

多勢に無勢だ。やがて動かなくなった渡辺に、将校の一人がとどめの軍刀を斬り込んだ。

 その一部始終を、渡辺の晩年にできた9歳の娘、和子が見ていた。

のちにこう書いている。

 「父の死は、誠に潔いものでした。今思えば、父をたった一人で死なせることなく、その最期を見とることが出来て私は幸せでした」

 和子は成人後にシスターとなり、ノートルダム清心女子大学の学長、同学園の理事長、日本カトリック学校連合会の理事長などを歴任。

平成28年12月に89歳で他界した。

× × ×

 決起部隊の標的が、もう一人いる。

昭和天皇の信任の厚い、前内大臣の牧野伸顕だ。

帝都で惨劇が繰り広げられた日、牧野は神奈川県湯河原町の旅館「伊藤屋」別館に投宿していた。

しかし、その門前は河野寿(ひさし)大尉率いる8人の襲撃班によって、ひそかに監視されていた。

 暗がりの中、河野がマッチをすって腕時計を確認する。

午前5時、行動開始だ。

襲撃班は勝手口に走り、引戸を叩いた。

 「電報、電報」

 護衛の警官が細目に引戸を開け、慌てて閉めようとしたが、河野は強引に押し入り、拳銃を突きつけた。

 「牧野の寝室に案内せよ」

 やむなく警官は、奥の方へとゆっくり歩き出す。

その後ろを、拳銃や軽機関銃を構えた河野らが追う。

狭い廊下は軍靴で軋(きし)み、不気味な音をたてた。

 突き当たりを曲がったときだ。警官がいきなり振り向いた。

その手に拳銃が握られている。鋭い発射音が1発、2発-。

河野も反射的に発砲、警官を倒したものの、自身を含め2人が重傷を負った。

 失敗だ。河野は襲撃班に抱きかかえられて屋外に出ると、寝室のあたりに向けて機関銃を乱射し、火を放った。

牧野が逃れ出てきたところを、射殺しようとしたのである。

 やがて女中らの一群が庭に出て、裏山へと逃れようとした。

その中に、女物の羽織を頭からかぶった者がいた。

襲撃班のひとりが「待て」と叫んで発砲する。

弾はそれ、付き添いの看護婦の腕にあたった。

 「女子供にけがをさせてはいかん」

 河野は、唇をかんで発砲をおさえた。

負傷した胸の痛みに耐えながら、その目は、女中らにまぎれて逃げる羽織を、むなしく追うしかなかった(※1)。

× × ×

 その頃、帝都では野中四郎大尉が指揮する歩兵第3連隊の約450人が警視庁を包囲していた。

数挺の機関銃、十数挺の軽機関銃、数百挺の小銃で重装備された精鋭部隊だ。

警視庁に応戦する力はなかった。

このほか栗原安秀中尉ら一部将兵は独断で、当初の計画にはなかった東京朝日新聞社を襲撃。

社員に拳銃を突きつけて退去させた上、2階の印刷工場に侵入して活字ケースを床にぶちまけた。

 政府首脳や宮中側近らが襲撃され、雪の帝都を凍りつかせた二・二六事件-。

斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監が死亡し、鈴木貫太郎侍従長が重傷を負った。

日の出までに首相官邸、陸相官邸、警視庁などが決起部隊に占拠され、首都機能は完全にマヒした(※2)。

 昭和天皇が惨劇を知ったのは、同日午前6時20分である。

未曾有の非常事態に、昭和天皇は敢然と立ち向かう--。(毎週土曜、日曜掲載)

【お知らせ】5月15、16の両日、皇太子さまの即位と新元号「令和」をテーマにした記念セミナーが産経新聞東京本社(東京都千代田区)で開かれ、本連載「昭和天皇の87年」の筆者、川瀬弘至・社会部編集委員が榊原智・論説副委員長とともに講師を務めます。

5月15日(水)は榊原論説副委員長が「皇室と日本人」について、16日(木)は川瀬編集委員が「新天皇陛下のお人柄」について、日頃のニュースではうかがい知れないエピソードも含め語ります。

受講料はID会員1500円、一般及び当日受付2000円。

両日とも17時30分開場、18時開会で、産経iDのイベントページ(https://id.sankei.jp/e/645)などで申し込みを受け付けています。

(※1) 襲撃を受けた牧野伸顕は妻の機転で羽織をかぶせられ、裏山に逃れることができたとされる。

なお、当事者や目撃者の証言などには食い違いもあり、二・二六事件の襲撃状況には諸説ある

(※2) 二・二六事件では首相私設秘書の松尾伝蔵や護衛の警官5人が殉職し、警官1人が重傷を負った。襲撃した決起部隊側も複数の重軽傷者が出た

【参考・引用文献】

○池田俊彦ほか編「二・二六事件裁判記録」(原書房)

○太平洋戦争研究会編、平塚柾緒著「二・二六事件」(河出書房新社)

○松沢哲成ら著「二・二六と青年将校」(三一書房)

○渡辺和子著「二・二六事件 憲兵は父を守らなかった」(月刊誌「文芸春秋」平成24年9月号収録)

○麻生和子著「父 吉田茂」(光文社)

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