第122回 二・二六事件(6):討伐を主張した石原莞爾

昭和天皇の87年

討伐を主張した石原莞爾 「降参すればよし、然らざれば殲滅する」

第122回 二・二六事件(6)

参謀本部の石原莞爾からも町尻(量基)武官を通じ討伐命令を出して戴き度(た)いと云つて来た、一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく判らない、満州事件の張本人であり乍(なが)らこの時の態度は正当なものであつた」

 先の大戦後、昭和天皇が二・二六事件を振り返って側近らに語った言葉だ。

 石原莞爾-。

かつて満州事変を主導し、陸軍中央の方針に従わなかった異端児である。

その石原が、戒厳司令部参謀に就任して決起部隊を討伐する側に回るとは、歴史の皮肉としか言いようがない。

 昭和11年2月28日午前3時、決起将校に同情的な歩兵第1連隊長らが戒厳司令部を訪れ、従わなければ逆賊となる奉勅命令の発動延期を申し入れた。

それを聞いた石原は、「命令受領者集まれ」と言って部屋を出ると、各隊の連絡員に向かって決然と指示した。

 「軍は、本二十八日正午を期して、総攻撃を開始し、反乱軍を全滅せんとす」

 続けて、討伐延期を訴えていた連隊長らに言う。

 「奉勅命令は下ったのですぞ。御覧の通り、部隊の集結は終り、攻撃準備は完了した。

降参すればよし、然らざれば、殲滅(せんめつ)する旨を、ハッキリと御伝え下さい。

大事な軍使の役目です。さア行って下さい」

 午前5時、決起部隊を原隊に帰順させる奉勅命令(※1)が発動。

陸軍がとるべき道は決した。

× × ×

 一方、1400人余の部隊を率いて政府首脳や宮中側近を襲撃し、陸相官邸などがある三宅坂(東京・永田町)一帯を占拠した20人余の決起将校は、時間の経過とともに、焦燥と疲労の色を濃くしていた。

 事件発生の日、2月26日の情勢は決起側に有利だった。

だが、27日に戒厳令が敷かれると風向きが変わり、討伐を求める声が陸軍内で強まっていく。

決起将校は、皇道派重鎮の前教育総監、真崎甚三郎に面会して事態収拾を一任するも、真崎は昭和天皇の意向を知り、決起に同情的な発言を次第にトーンダウンさせていった。

 28日に奉勅命令が下達されると、決起側はいよいよ窮地に立たされる。

各方面からの説得工作もあり、将校は全員自決して下士官兵を原隊に復帰させるという帰順論が大勢を占めるようになった。

 そんなとき、侍従武官長の本庄繁のもとに、陸相の川島義之と軍事調査部長の山下奉文(ともゆき)が訪れた。

28日午後1時ごろのことだ。

 山下が言った。

 「決起将校に自決させ、下士官以下は原隊に帰します。

ついては勅使を賜わり、自決への光栄を与えてほしい。

これ以外に解決の手段はありません」

 自決に勅使が立ち会うことは、決起の趣旨などの一部を天皇が認めることを意味する。

本庄は「斯(かか)ルコトハ恐ラク不可能ナルベシ」と思いつつ、拝謁を求めて伝奏した。

 はたして昭和天皇は激怒した。

そもそも張作霖爆殺事件以来、相次ぐ軍紀違反に陸軍上層部が断固とした処置をとらず、過激将校らの心情を認めてうやむやにしてきたことが、今回の重大事態を招いたのではないか-。

昭和天皇は「未ダ嘗(かつ)テ拝セザル御気色ニテ」叱責した。

その様子を、本庄は日記にこう書いている。

 「陛下ニハ、非常ナル御不満ニテ、自殺スルナラバ勝手ニ為スベク、此ノ如キモノニ勅使抔(など)、以テノ外ナリト仰セラレ、(中略)直チニ鎮定スベク厳達セヨト厳命ヲ蒙(こうむ)ル」

 事件発生以来、政府も軍部も混乱する中で、昭和天は微塵もぶれなかった。

この姿勢がなければ、日本の現代史にクーデターの政権樹立という汚点が刻まれていたかも知れない。

本庄は「返ス言葉モナク退下セシガ、御叱責ヲ蒙リナガラ、厳然タル御態度ハ却テ難有(ありがた)ク、又条理ノ御正シキニ寧(むし)ロ深ク感激ス」と書き残している(※2)。

 一方、決起将校は自決の帰順論にいったんは傾きながら、28日午後に態度をひるがえし、決戦する姿勢をあらわにした。

 翌29日、いよいよ二・二六事件は最終局面に突入する--

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 奉勅命令とは、天皇の統帥大権に基づき、参謀総長もしくは軍令部総長に発する勅裁の最重要命令

(※2) 昭和天皇はこのとき、勅使の要請に対してだけでなく、積極的に動こうとしない第1師団の師団長に対しても、「自ラノ責任ヲ解セザルモノナリト、未ダ嘗テ拝セザル御気色ニテ、厳責アラセラレ」たという

【参考・引用文献】

○宮内庁編「昭和天皇実録」23巻

○寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー編著「昭和天皇独白録」(文芸春秋)

○藤本治毅著「石原莞爾」(時事通信社)

○松村秀逸著「三宅坂-軍閥は如何にして生れたか」(東光書房)

○本庄繁記「本庄日記〈普及版〉」(原書房)

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