第123回 二・二六事件(7):遂に反乱軍が投降

昭和天皇の87年

遂に反乱軍が投降 「兵に告ぐ 勅命に反するな」

第123回 二・二六事件(7)

昭和11年2月29日午前、東京・日比谷の飛行会館屋上に、「勅命下る 軍旗に手向ふな」のアドバルーンが上がった。

決起部隊が占拠している東京・永田町の三宅坂一帯には、上空からビラもまかれる。

「下士官兵ニ告グ 一、今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ 二、抵抗スルモノハ全部逆賊デアルカラ射殺スル 三、オ前達ノ父母兄弟ハ国賊トナルノデ皆泣イテオルゾ 戒厳司令部」

決起部隊1400人余の大部分を占める下士官兵は、青年将校の命令で動いているだけだ。

26日未明に非常呼集で起こされ、襲撃場所に向かう途中で決起趣意書を読み聞かされたものの、その意味をほとんど理解していなかった。

それなのに突然、逆賊とされ、下士官兵は激しく動揺した。

 この時代、逆賊の汚名を着ることは死ぬことより重い。

親類縁者にも累が及ぶ。

投降を促すラジオ放送もはじまり、下士官兵の動揺に拍車をかけた。

「兵に告ぐ。勅命が発せられたのである。

既に、天皇陛下の御命令が発せられたのである。

お前たちは上官の命令を正しいものと信じて、絶対服従をして、誠心誠意活動して来たのであろうが、既に天皇陛下の御命令によってお前たちは皆原隊に復帰せよと仰せられたのである。

この上お前たちが飽くまでも抵抗したならば、それは勅命に反することとなり、逆賊とならなければならない。

(中略)速かに現在の位置を棄てて帰って来い」

繰り返されるラジオ放送。周りを取り囲む重武装の鎮圧軍。

下士官兵の動揺をみて、青年将校もついに抵抗を断念する。

午前9時半以降、投降する部隊が相次ぎ、午後2時までに大半の部隊は原隊に帰順した。

決起部隊司令部のある東京・赤坂の山王ホテルでは、安藤輝三大尉が率いる歩兵第3連隊第6中隊が最後まで徹底抗戦の構えを崩さなかったが、直属の上官や同僚、ほかの決起将校らの説得を受け、銃をおいた。

安藤は、下士官兵を集めて訓示した。

「皆よく闘ってくれた。戦いは勝ったのだ。最後まで頑張ったのは第六中隊だけだった。

中隊長は心からお礼を申上げる。皆はこれから満州に行くがしっかりやってもらいたい」

その後、全員で号泣しながら中隊歌をうたっている途中で、安藤は自身のあご下に拳銃をあて、引き金をひいた。

午後3時ごろだった(※1)。

× × ×

ここに、発生から四日間にわたる二・二六事件は終息した。

この間、昭和天皇は連日「御格子(就寝)マデ軍服ヲ解カセラレズ、又御慰ミ(趣味など)ニ属スル事ハ、一切御中止遊バセラレ」たと、侍従武官長の本庄繁が書き残している。

昭和天皇は、さらに事態が悪化すればいつでも前面に立つ覚悟でいたのだろう。

鎮圧までの間、内大臣ら側近を失った昭和天皇を支えたのは2人の弟、雍仁(やすひと)親王と宣仁親王だ。

宣仁親王は事件発生の2月26日、雍仁親王は翌27日に任地の青森県弘前から駆けつけ、昭和天皇のそばについた。

同日、昭和天皇は《皇后と共に御奥において、雍仁親王・宣仁親王と御対面になる。

ついでお揃(そろ)いにて御夕餐を御会食になる》と、昭和天皇実録に記されている(23巻32頁)。

会話の内容は明らかではないが、2人の存在そのものが励みになったに違いない。

陸軍参謀総長の閑院宮載仁(ことひと)親王や海軍軍令部総長の伏見宮博恭(ひろやす)王をはじめ皇族も団結して昭和天皇を支えた。

当時、宮内大臣の湯浅倉平が元老私設秘書の原田熊雄に、こう話している。

「(終息に向けて)皇族方が非常に真剣に一致協力されたことについては、自分も非常に感激してをる。

中にも、平素黙々として何も言はれない梨本宮(守正王・元帥陸軍大将)の如き方が、陛下に対して泣かんばかりに、『実に軍の長老として申訳ない(中略)』と言つて陛下にお詫を申上げてをられる御様子を拝して、なんともお気の毒に堪へなかつた。

(中略)かれこれ思ひ合せると、今度ほど皇族方が一致協力されたことは、今まで嘗(かつ)てない」

× × ×

昭和天皇の日常がふだん通りに戻るのは、3月中旬以降だ。

3月11日《侍従・侍従武官等を御相手に乗馬をされる。

なお、二月二十六日の事件以降、これが初めての御運動となる》

(昭和天皇実録23巻53頁)

3月19日《二月二十六日の事件以来、御起床より御格子まで終日陸軍軍装にてお過ごしのところ、この日午後六時、初めて背広にお召し替えになる。

爾後、同時刻頃より背広をお召しになる》(同巻60頁)

3月28日《午前九時四十分より正午まで生物学御研究所にお出ましになり、研究をされる。

なお、二月二十六日の事件以降、この日初めて御研究所にお出ましになる》

(同巻67頁)--(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 拳銃で自決をはかった安藤だが、急所を外れて一命をとりとめ、のちの軍法会議で銃殺刑に処された

【参考・引用文献】

○松沢哲成、鈴木正節著「二・二六と青年将校」(三一書房)

○太平洋戦争研究会編、平塚柾緒著「二・二六事件」(河出書房新社)

○本庄繁記「本庄日記〈普及版〉」(原書房)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」5巻

○宮内庁編「昭和天皇実録」23巻

コメントを残す

サブコンテンツ

i2i


サイト内ランキング



アクセスカウンター


このページの先頭へ