第128回 腹切り問答   陸軍大臣に向かって「割腹せよ!」

昭和天皇の87年

陸軍大臣に向かって「割腹せよ!」 長老議員が意地を見せた

第128回 腹切り問答

二・二六事件後、昭和天皇を支える環境も大きく変わった。

何より、内大臣の斎藤実を失ったことは大きい。

昭和10年12月に牧野伸顕が辞職した後、後任に斎藤を望んだのは昭和天皇である。

斎藤は穏健な国際派だ。

朝鮮総督だった頃、武断政治を文治政治に改め、融和に努めた。

植民地研究の第一人者、アレン・アイルランドがこう書いている。

「彼は(朝鮮で)卓越した改革を成し遂げた。

教育の問題においては、実に惜しみなく人々の教養に対する意欲に力を貸し、政治的野心については、無益に独立を望む気持ちを助長するものは如何なるものにも断固反対する一方、熱心に地方自治を促進し、日本人と朝鮮人の関係に友好と協力の精神をしみ込ませようとしていた」

 海外に知己も多く、駐日アメリカ大使のグルーとは昵懇(じっこん)の間柄だ。斎藤の良識と手腕は、牧野の穴を埋めるに十分だっただろう。

信頼する股肱(ここう)を殺害されたことに、昭和天皇は「真綿にて我が首を絞めるに等しい行為」と激しく憤っている。

後任の内大臣には、宮相の湯浅倉平が就任した(※1)。

× × ×

侍従武官長の本庄繁も、女婿の山口一太郎(陸軍大尉)が二・二六事件に関与して起訴されたため、道義的責任を感じて11年3月23日に辞職した(※2)。

満州事変時の関東軍司令官だった本庄に対し、昭和天皇は必ずしも最初から全幅の信頼を置いていたわけではない。

しかし、その誠実な人柄と献身的な仕事ぶりに、日に日に信頼を深めていたようだ。

元老私設秘書の原田熊雄によれば、本庄が折に触れて陸軍上層部に昭和天皇の君徳を伝えたので、「陸軍省や参謀本部の幹部どころの連中が、しきりに陛下の御聡明な点を話し合ふ」ようになってきたという。

辞職の際、昭和天皇は《御常用の文鎮を御手ずから本庄に下賜される》(昭和天皇実録23巻67頁)。後任には陸軍中将の宇佐美興屋が就任した。

二・二六事件で重傷を負った侍従長の鈴木貫太郎も同年11月20日、高齢などを理由に辞職した。

鈴木は側近中の側近だ。

昭和天皇は長年の苦労をいたわり、《御手ずから御硯(すずり)箱を下賜される」(同巻193頁)。後任は海軍大将の百武三郎である。

一方、二・二六事件後は国民生活も悪化した。

殺害された蔵相の高橋是清は軍事予算の抑制に努めていたが、後任の馬場●(=金へんに英)一は軍事予算を拡大、公債を増額してインフレを招いた。

過激右翼などのテロにおびえ、言論の自由も侵害されていく。

軍部の権力増大で次第に圧迫される社会状況-。

そんな中、帝国議会の重鎮が最後の意地をみせる。

× × ×

現在の国会議事堂が落成したのは昭和11年11月、二・二六事件の鎮圧からおよそ8カ月後だ。

北側に貴族院(参議院)、南側に衆議院を配置した左右対称形で、65メートルの中央塔は当時日本一の高さを誇り、「白亜の殿堂」と称賛された。

この、落成間もない議事堂で初めて招集され、広田弘毅内閣を倒壊させたのが第70回帝国議会である。

年明け後の12年1月21日、政友会の浜田国松が、衆院本会議の質問に立った。

「軍部の人々は大体において、わが国政治の推進力は我らにあり、乃公(だいこう)出(い)でずんば蒼生(そうせい)を如何せんという慨を持っておられる。

(中略)この独裁思想、軍部の推進的思想というものが、すべて近年の政治の動揺のもとになっている…」

陸相の寺内寿一が、渋い顔で答弁した。

「お言葉の中に、軍人に対していささか侮辱されるような感じを受けるものがありますが…」

浜田「いやしくも国民代表者の私が、国家の名誉ある軍隊を侮辱したという喧嘩を吹っ掛けられて後へは退けません。私のどの言辞が軍を侮辱しましたか、事実を挙げなさい」

寺内「速記録をよく御覧下さいまし」

浜田は闘志をたぎらせ、気迫を込めて言った。

「あなたも国家の公職者であるが、不徳未熟、衆議院議員浜田国松も、陛下の下における公職者である。

(中略)速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する、なかったら君、割腹せよ」

前衆院議長の浜田は当時68歳。

議員歴33年の長老だ。

弁舌を武器とする本会議場にあっては、寺内がかなう相手ではない。

狼狽した寺内は、「よく速記録を御覧下さいまして、御願いを致します」とはぐらかすしかなかった(※3)。

× × ×

議会史に残る「腹切り問答」である。

メンツを潰された寺内は首相の広田に臨時閣議の開催を求め、即時解散を訴えた。

こんなことで解散するわけにはいかない。

広田は、議会を2日間停会させることにし、その間に陸軍と議会との妥協点を見いだそうとしたが、寺内はかたくなで、解散しないなら辞職すると言い出した。

一向に改まらない陸軍の横暴-。

広田は、もはやこれまでと思ったことだろう。

1月23日に全閣僚の辞表をまとめ、昭和天皇に奉呈した。

混乱はなおも続く。

次期首相として前朝鮮総督(予備役陸軍大将)の宇垣一成に大命降下したが、広田内閣が復活させた軍部大臣現役武官制により、組閣が流産してしまうのだ--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 宮相の後任には外交官(特命全権大使)の松平恒雄が就任した

(※2) 山口一太郎は反乱者(決起将校)を利したとされ、軍法会議で無期禁錮の有罪判決が下された

(※3) 浜田の質問に議場は騒然となり、親軍派の議員からヤジも飛んだが、浜田を支持する拍手の方が多かったという

【参考・引用文献】

○アレン・アイルランド著「THE NEW KOREA 朝鮮が劇的に豊かになった時代」(桜の花出版)

○宮内庁編「昭和天皇実録」23巻

○原田熊雄述「西園寺公と政局」(岩波書店)3巻

○昭和12年1月22日の官報号外「第七十回帝国議会 衆議院議事速記録第三号」(国立国会図書館所蔵)

○広田弘毅伝記刊行会編「広田弘毅」(葦書房)

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