第129回 組閣妨害 幻の宇垣一成内閣

昭和天皇の87年

幻の宇垣一成内閣 「陸軍はいよいよ増長すべし」

第129回 組閣妨害

もしも戦前、軍部の暴走を食い止められる首相候補がいたとすれば、この人ではないか。

農家の末っ子に生まれながら陸軍トップに上りつめた苦労人、元陸相の宇垣一成である。

 広田弘毅内閣が総辞職を表明した翌日、昭和12年1月24日の夜、静岡県伊豆長岡町(現伊豆の国市)の別荘に滞在していた宇垣のもとに、宮中から電話があった。

 「陛下のお召しです。ただちに参内して下さい」

 時計の針はすでに午後8時半を回っている。

宇垣は、「もう東京まで行く汽車がありません。横浜までならありますが、0時過ぎの到着なので明朝早く参内します」といって受話器を置いた。

だが、30分もたたずに再び電話が鳴った。

 「陛下は、いくら遅くなっても構わない、待っていると仰せです」

 そう言われて、慌てない日本人はいない。

宇垣は急いで身支度を整え、汽車に飛び乗った。

 横浜から車に乗り継ぎ、参内したのは25日午前1時40分である。

まだ呼吸も整わない宇垣に、昭和天皇は言った。

 「卿に内閣の組閣を命ず。しかし、不穏なる情勢も一部にあると聞く。その点につき成算はあるか」

 宇垣は深く頭を下げた。

「政情複雑でございますゆえ、数日のご猶予をお願い申し上げます」

× × ×

 次期首相に宇垣を推薦したのは、元老の西園寺公望だ。

宇垣は大正末期、加藤高明内閣の陸相として4個師団廃止など軍縮を断行した実績がある。

西園寺は、宇垣ならば軍部を抑えられると思ったのだろう。

 宇垣は野心家だ。参内する前から、難局を背負う覚悟を決めていた。

軍部の手綱を引けるのは自分しかいないという自負もあったのだろう。

 政財界も宇垣に期待した。

元老私設秘書の原田熊雄によれば、宇垣への大命降下に「各政党財閥、ほとんど国民挙(こぞ)つて非常な賛同であり、非常な好人気であつた」という。

 だが、昭和天皇が組閣の成算を危ぶんだように、宇垣内閣を快く思わない勢力があった。

 陸軍である。

 宇垣排撃の急先鋒に立ったのは、参謀本部作戦部長代理の石原莞爾だ。

表向きの理由は「宇垣は三月事件(※1)に関係しており、粛軍を進めるのにふさわしくない」だが、本音は「宇垣が首相になれば陸軍の政策要求が通らない」だった。

石原は上層部らを説得して回り、陸軍は組閣阻止でまとまった。

 教育総監の杉山元が宇垣に忠告する。

「ご辞退を願わねばなりません。どうも部内がまとまらない」

 陸相の寺内寿一も言う。

「陸相の候補者を3人立てましたが、みんな断られました」

 陸軍が現役将官を陸相候補に立ててくれなければ、内閣を組織できない。

軍部大臣現役武官制があるからだ。

宇垣も陸軍大将だが予備役であり、陸相を兼務することはできなかった。

現役武官制を復活した広田内閣の禍根が、早くも現実化してしまったのである。

 それでも、宇垣はあきらめなかった。

宇垣が最後の頼みとしたのは、陸軍でも逆らえない聖域、昭和天皇である。

× × ×

 大命降下から2日後、宇垣は参内し、内大臣の湯浅倉平に言った。

 「組閣の大命を陸軍の二、三の者が阻止するという悪例を残しては断じてならない。

陛下からお言葉を下されますよう、取り次いでいただきたい」

 このとき宇垣は、事態打開策として(1)陸相不在のまま首相が陸相の「事務管理」をする

(2)昭和天皇が現役将官に優諚(※2)を与えて陸相に就任させる

(3)予備役将官を現役に復活させる-の3案を示した。

だが、湯浅は及び腰で、取り次ごうとしなかった。

 「そんな無理をなさることはあるまい。あなたにはまだ再起を願わねばならぬこともあるから」

 湯浅は、昭和天皇に累が及ぶことを懸念したのだろう。

あるいは、側近が襲撃された二・二六事件が頭をよぎったのかもしれない。

 一方、昭和天皇はどう考えたか。

湯浅から内々に事情を聞いたあと、侍従武官に《宇垣内閣が不成立の場合、陸軍はいよいよ増長すべしとの見通しとともに、一方で優諚を以て宇垣に組閣させた場合、その後は穏やかには収まらざるべしとのお考えを示され》たと、昭和天皇実録に記されている(24巻13頁)。

 ここに昭和天皇の、心の葛藤がうかがえよう。

宇垣によって陸軍を抑えたいが、かえって暴発する恐れもある-。

それに立憲君主として、できることとできないことがある-。

 昭和天皇は、皇族のご意見番でもあった海軍軍令部総長の伏見宮博恭王に、優諚を下すことの可否をひそかに問い合わせたが、博恭王が否定的な意見を述べたため断念した。

 こうして宇垣の、頼みの綱はすべて切れた。

同時に陸軍を抑える手綱も切れたといっていい。

 1月29日《(昭和天皇は宇垣から)万策尽きたため、大命を拝辞する旨の奏上を受けられる。

これに対し、他日奉公の機会を期し自重すべき旨の御言葉を賜う》(同巻14頁)

 このあと国政は、およそ4カ月にわたり混乱する。

そのあと遂に、運命の内閣の誕生をみるのである--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1)三月事件 昭和6年3月、陸軍の秘密結社「桜会」の中堅将校らが大川周明ら民間右翼と結託し、当時陸相の宇垣一成を首班とする軍事政権樹立を目指したクーデター未遂事件。

謀略に前向きだった宇垣が直前で反対したため頓挫したが、このため宇垣は中堅将校らの信望を一気に失うこととなった

(※2)優諚 天子のありがたい言葉のこと

【参考・引用文献】

○角田順校訂「宇垣一成日記〈2〉」(みすず書房)

○木戸日記研究会校訂「木戸幸一日記〈上〉」(東京大学出版会)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」(岩波書店)

○阿部博行著「石原莞爾〈上〉」(法政大学出版局)

○宮内庁編集「昭和天皇実録」24巻

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