第140回 東京裁判がでっち上げた「レイプ・オブ・南京」

昭和天皇の87年

東京裁判がでっち上げた「レイプ・オブ・南京」

第140回 でっち上げ

「(日本の)兵隊は個々に、または二、三人の小さい集団で、(南京の)全市内を歩きまわり、殺人、強姦、掠奪、放火を行つた。

そこには、なんの規律もなかつた。

(中略)多数の婦女は強姦された後に殺され、その死体は切断された。

占領後の最初の一カ月の間に、約二万の強姦事件が市内に発生した」

 昭和23年11月に言い渡された東京裁判の判決で、いわゆる「南京大虐殺」はこう断罪された。

日本兵により「殺害された一般人と捕虜の総数は、二十万以上」と認定している。

被告席に座る元中支那方面軍司令官、松井石根は仰天したことだろう。

 結論からいえば、この判決はでっち上げである。

13年12月の南京占領時、松井が「不法行為等絶対ニ無カラシムルヲ要ス」と厳命したのはすでに書いた通りだ。

一般市民のいる安全区内に日本兵が立ち入ることは厳しく制限され、許可がなければ部隊長でも入れなかった。

 歩兵第6旅団は南京城内の掃討にあたり、隷下の部隊にこう命じている。

 一、軍司令官の注意事項を一兵に至るまで徹底させた後、掃討を実施せよ

 一、外国権益の建物は敵がこれを利用している場合のほか、立ち入りを厳禁する

 一、青壮年はすべて敗残兵または便衣兵とみなし、すべてこれを逮捕監禁せよ。

青壮年以外の敵意のない支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬仰させよ

 こうした命令により苛烈な便衣兵狩りが実施され、一般市民が巻き添えになった可能性も高いことは既述の通りだ。

摘発された敗残兵の一部は市民の前で処断(殺害)され、それが虐殺と受け止められたなら弁明はすまい。

 しかし、2万人以上が強姦されたとか、多数の婦女が殺されて死体は切断されたとか、ありえない話である。

× × ×

 火のない所に煙を立てたのは誰か-。

 一人は、南京安全区国際委員会の委員長だったジョン・ラーベだろう

12月17日の日記に「昨晩は千人も暴行されたという。

(中略)いまや耳にするのは強姦につぐ強姦」と書いている。

だが、日本兵には夜間外出禁止令が出ており、その時間帯に安全区にいたのは統制を失った中国軍の敗残兵、もしくは便衣兵だ。

 ラーベは「局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。

吐き気がして息苦しくなる」とも書く。

同年7月の通州事件で中国人保安隊は同様の残虐行為をしたが、日本人にはとても真似の出来ない行為だ。

 ラーベは、一般市民への虐殺現場を一件も見ていない。

ほかの在留欧米人も、南京で取材する多数の日本人記者も、誰も見ていない。

すべて中国人からの伝聞である。

× × ×

 もっとも、日本軍の不法行為が皆無だったわけではない。

一部で日本兵による掠奪や放火事件なども確認され、処罰されたとの記録もある。

甚だしきは翌年1月に発覚した“事件”だ。

上海派遣軍参謀長の飯沼守が日記にこう書き残している。

 「一月二十六日、本夕本郷少佐ノ報告。

米人経営ノ農具店ニ二十四日夜十一時頃日本兵来リ、留守番ヲ銃剣ニテ脅シ女二人ヲ強姦、訴ヘニ依リ其強姦サレタリト云フ家ヲ確メタルトコロ、○○中隊長及兵十数名ノ宿泊セル所ナルヲ以テ其家屋内ヲ調査セントシタルニ、○○ハ兵ヲ武装集合セシメ逆ニ米人ヲ殴打シ追ヒ出セリ。

其知ラセニ依リ本郷参謀現場ニ至リ、中隊長ノ部屋ニ入ラントシタルモ容易ニ入レス、隣室ニハ支那女三、四名在リ。

強テ○○ノ部屋ニ入レハ女ト同衾シアリシモノヽ如ク、女モ寝台ヨリ出テ来レリト、依テ中隊長ヲ訊問シタルニ、中隊長ハ其権限ヲ以テ交ル交ル女ヲ連レ来リ、

金ヲ与ヘテ兵ニモ姦淫セシメ居レリトノコト。

依テ憲兵隊長小山中佐及大隊長ヲ呼ヒ明朝ノ出発ヲ延期セシメ、大隊長ノ取調ニ引キ続キ憲兵ニテ調フルコトヽセリ」

 軍紀の乱れを示す、遺憾極まりない不祥事である。

中隊長以下12人が軍法会議に送致されたのは言うまでもない。

× × ×

 とはいえ、東京裁判がでっち上げた猟奇的強姦殺人は、これとは次元の違うものだ。

しかし国際的にみれば、でっち上げの方が“通説”となっていることを、日本人は知るべきだろう。

 中国系アメリカ人女性作家のアイリス・チャンは1997(平成9)年に刊行した「ザ・レイプ・オブ・南京」の序文に、こう書いている。

 「(南京大虐殺で)中国人の男性は、銃剣の練習や、首切り競争で殺害された。

強姦された中国人の女性は二万人から八万人に上ると見積もられる。

多くの兵士は強姦に飽き足らず、女性の腹を裂き、胸を切り取り、生きたまま壁に釘付けにした。

家族の見ている前で、父親が娘を犯し、息子が母親を犯すことを強いられた。

生き埋めにし、去勢し、内蔵を切り刻み、火あぶりにするといったことが当たり前のように横行しただけでなく、舌を鋼鉄の鉤にかけて吊したり、腰までを生き埋めにした人がシェパード犬に引き裂かれるのを見物するというような、一層悪魔的な拷問が行われた…」

 繰り返す。これが国際的にみた“南京大虐殺”なのだ。

刊行された「ザ・レイプ・オブ・南京」はワシントン・ポストで大きく紹介され、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに10週連続で掲載された。

× × ×

 本筋に戻ろう。

南京占領後に伝聞と誇張に基づく「虐殺」が一人歩きし、海外紙が書き立てたことで軍司令官の松井は窮地に立たされた。

外務省と陸軍中央は軍紀が乱れていると判断。

松井は昭和13年2月に職務を解任される。

 松井は、無念の唇をかんだことだろう。

陸軍きっての日中親善論者であったことは疑いない。

在任中、口を酸っぱくして軍紀の厳正をとなえ、中国人を見下すような風潮を戒めていた(※1)。

 何よりやり切れないのは、南京占領で終わると思っていた戦争が、終わらなかったことだ。

その責任は松井にではなく、首相の近衛文麿にあった--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 参謀本部作戦課長から中支那方面軍参謀副長に転出した武藤章は松井について「心底からの日支親善論者であった。

作戦中も随分無理と思われる位支那人の立場を尊重された」と書き残している

【参考・引用文献】

○毎日新聞社発行「東京裁判判決」

○東中野修道著「再現 南京戦」(草思社)

○ジョン・ラーベ著「南京の真実」(講談社文庫)

○アイリス・チャン著「ザ・レイプ・オブ・南京」(同時代社)

○早坂隆著「松井石根と南京事件の真実」(文芸春秋)

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