第142回 トラウトマン工作 日中和平の一歩手前で”決裂”

昭和天皇の87年

日中和平の一歩手前で“決裂” 背後にソ連の影も…

第142回 トラウトマン工作

日中戦争の初期、ドイツは微妙な立場にいた。

日本と防共協定を結ぶ一方で、中国とは経済提携を強め、軍事顧問団も送り込んでいる。

いわば二重外交だが、双方に顔が利いたといえるだろう。

ドイツ駐日大使のディルクセンと、外相の広田弘毅が会談したのは昭和12年11月2日、上海が陥落する直前である。

広田は、「ドイツが中国に和平を促すなら歓迎する」とした上で、和平条件として(1)内蒙古に自治政府を設立する(2)華北は一定の条件のもと中国に行政権を委ねる(3)上海の非武装地帯の拡大(4)排日政策の中止(5)共同防共政策の推進-などを示した。

ディルクセンは、直ちにドイツ本国に報告した。

「これらの条件は極めて穏健なものであり、その受諾は、南京(蒋介石政権)にとって面子を失うことなしに可能であるから、これらの条件を受諾するように南京に圧力を行使することが賢明である」

ドイツ本国からの指示を受け、中国側の説得にあたったのは駐華大使のトラウトマンだ。

親中派のトラウトマンは、中国に一定の影響力を持っている。

ところが蒋介石は11月5日、こう言って和平条件を一蹴した。

「日本側が現状を盧溝橋事件前に戻す用意がない限り、いかなる要求も受け入れられない」

× × ×

蒋介石が強気の姿勢をみせたのは、国際連盟の主導で始まった米英仏などの九カ国条約会議(※1)に、期待していたからだろう。

会議で日本の軍事行動が条約違反とされ、日本に対する経済制裁などを引き出すことができれば、情勢は一変するに違いない。

だが、会議は実質的成果を上げることができず、11月15日に閉会してしまう。

蒋介石は頭を抱えた。

和平交渉を拒んでいるうちに上海が陥落し、南京も風前のともしびである。

12月2日、蒋介石は軍幹部を招集し、日本の和平条件を示して意見をきいた。

最高幹部の一人、白崇禧が言う。

「これだけの条件だとすれば、なんのために戦争しているのか」

徐永昌もうなずく。

「ただこれだけの条件ならば、これに応ずべし」

同日、蒋介石はトラウトマンに会い、こう伝えた。

「ドイツの仲介を受け入れる用意がある」

× × ×

あとは日本側の決断次第だ。

しかし、ここで近衛文麿内閣が第一の失敗を犯す。

12月13日に南京が陥落したことを受け、和平条件を一気に引き上げてしまうのだ。

華北の特殊地域化を要求したり、賠償請求を追加したりと、中国の面子を潰すような内容である。

近衛内閣にも、止むに止まれぬ事情があった。

8月の第二次上海事変以降、日本軍の戦死傷者は10万人を超え、戦費も巨額に達していた。

12月の南京陥落で国民が戦勝気分に酔う中、賠償請求などを追加しないわけにはいかなかったのだ。

とはいえ、中国側に受け入れ不能な条件を出しても意味がない。

ある時、内閣書記官長の風見章が関係閣僚に「この条件で和平の見込みがあるだろうか」と聞いてみた。

米内光政海相「和平成立の公算はゼロだと思う」

広田弘毅外相「まあ、三、四割は見込みがありはせぬか」

杉山元陸相「四、五割は大丈夫だろう。いや五、六割は見込みがある」

こんな調子では、本気で和平実現を考えていたのか疑われても仕方がない。

12月23日、新たな条件を伝えられた駐日大使のディルクセンは、外相の広田に言った。

「これらの条件を中国政府が受諾することは、あり得ないだろう」

× × ×

果して中国は、トラウトマンから新条件を示されて沈黙した。

日本側は翌年1月6日を期限とし、回答を待ったが、うんともすんとも言ってこない。

ただ、何もしなかったわけではなかった。

実はこの時、中国は新条件をソ連に内通し、アドバイスを受けていたのだ。

スターリンは12月31日、こう打電した。

「盧溝橋事件以前の状態に戻すという条件でなければ応じるべきではない。

仲介したドイツの意図は日本を休ませることにあり、日本は休戦してもすぐにそれを反故(ほご)にする」(※2)

蒋介石は、戦争継続に傾いた。

一方、親日派の汪兆銘らは和平を主張した。

汪の自叙伝によれば、最高国防会議で協議した結果、「トラウトマン大使の和平提議を受諾することに決定した」という。

蒋介石が同意したかどうかは不明だが、少なくとも中国内部の意見は割れていた。

もしも日本側が粘り強く交渉を続けていたなら、妥協点を見いだせたかもしれない。

しかし、近衛は粘らなかった。

このまま蒋介石政権が和平を求めてこないなら、親日的な新政権の樹立を助長し、それと交渉して戦争を終わらせようとしたのだ。

これが近衛の、第二の失敗である。

戦争相手と交渉せずに、何を決めるというのか。

しかも近衛は、新たな方針を御前会議で確定しようとする。

昭和になって初の御前会議だ。

それが近衛の、取り返しのつかない第三の失敗を招くのである--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 九カ国条約とは、日米英仏中など9カ国が第1次世界大戦後、中国の門戸開放・機会均等・主権尊重などを定めた条約。

日中戦争を受け、1937年11月にベルギーのブリュッセルで締結国が会議を開いたが、成果を出せずに事実上無効化した

(※2) スターリンの狙いは、日中戦争を長引かせることで、中国の国民党軍と日本軍を共倒れさせることだったとみられる。

ドイツは当時、モスクワからの情報で、ソ連が日本の軍事力を弱めるため、あらゆる手段で紛争を駆り立てていると分析していた

【参考・引用文献】

○矢部貞治編著「近衛文麿〈上〉」(弘文堂)

○風見章著「近衛内閣」(日本出版協同)

○宮内庁編集「昭和天皇実録」24巻

○宮田昌明著「トラウトマン工作再考」(軍事史学会編「日中戦争の諸相」(錦正社)収録)

○三宅正樹著「トラウトマン工作の性格と史料」(日本国際政治学会「日中戦争と国際的対応」収録)

○広田弘毅伝記刊行会編「広田弘毅」(葦書房)

○安藤徳器編訳「汪精衛(兆銘)自叙伝」(大日本雄弁会講談社)

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