第144回 国家総動員法 強まる戦時色「ヒットラーの如く、スターリンの如く」

昭和天皇の87年

強まる戦時色「ヒットラーの如く、スターリンの如く…」

第144回 国家総動員法

第4条「政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務ニ従事セシムルコトヲ得」

 第8条「政府ハ戦時ニ際シ(中略)物資ノ生産、修理、配給、譲渡其ノ他ノ処分、使用、消費、所持及移動ニ関シ必要ナル命令ヲ為スコトヲ得」

 第13条「政府ハ戦時ニ際シ(中略)総動員業務タル事業ニ属スル工場、事業場、船舶其ノ他ノ施設又ハ之ニ転用スルコトヲ得ル施設ノ全部又ハ一部ヲ管理、使用又ハ収用スルコトヲ得」

 昭和13年2月、日中戦争(当時は支那事変)で早期和平の見通しを失った近衛文麿内閣が、帝国議会に付した法案の一部である。

 国家総動員法-。

国防目的達成のため、あらゆる人的、物的資源を統制する絶大な権限を政府に与える、超法規的な内容だ。

のちに企画院総裁を務める星野直樹が、こう語っている。

 「この法律で何と何が統制できるかと考えるよりも、この法律で統制できないものがあるなら、それをさがした方がはるかに早いだろう」

× × ×

 同法が成立すれば国民の権利は大幅に制限される。

このため国会では、民政党はもちろん親軍的とされる政友会からも批判が続出した。

 3月2日の衆院特別委員会。

政友会の植原悦二郎が近衛を追求する。

 「国民の為に国防が存するのだ、国防の為に国民は犠牲にされるのではない」

 近衛は言った。

 「国防も国家の為に存するのであります。国民も国家の為に存する」

 一方、法案に賛成したのは、意外にも左派の社会大衆党だ。

日中戦争で急速に右傾化した社大党は、法案成立に逡巡(しゅんじゅん)する政・民両党を攻撃した。

 3月16日の衆院本会議。

社大党の西尾末広が近衛を激励する。

 「ムッソリーニの如く、ヒットラーの如く、或はスターリンの如く、大胆に日本の進むべき道を進むべきであります」

 はしゃぎ過ぎである。

政・民両党は「スターリンの如く」を問題にし、懲罰委員会にかけて西尾を議員除名とした。

これもやり過ぎだろう(※1)。

 賛否の激論で議会が混乱する中、近衛内閣は、解散もちらつかせて政・民両党を揺さぶり、法案を成立させた。

3月16日のことだ。

 昭和天皇は、複雑な思いだったのではないか。

何事も隠さず奏上する近衛を、昭和天皇は信頼していた。

しかし、憲法の精神を遵守する昭和天皇が、ファッショに近い国家総動員法に賛同していたとは思えない。

その頃の昭和天皇実録には、議会情勢を伝えるラジオ放送に深夜まで聞き入っていた様子も記されている。

 同法により、社会全体の戦時色が一段と強まったことは言うまでもない。

× × ×

 一方、「相手にせず」声明で戦争相手との交渉窓口を閉ざし、国家総動員法で戦時色を強めてしまった首相の近衛は、その頃からしきりに辞意を口にするようになった。

 国民に人気があっても陸軍の手綱は引けず、むしろいいように操られていると、感じていたからだ。

 国家総動員法が公布された4月1日、政務報告で参内した近衛は、昭和天皇にこぼした。

 「自分のやうな者はほとんどマネキンガールみたやうなもので、何にも知らされないで引張つて行かれるんでございますから、どうも困つたもんで、まことに申訳ない次第でございます」

 昭和天皇は言った。

 「(国民や陸軍に)尊崇されてゐる近衛から陸軍に向つてよく注意を与へてやつたら、陸軍は近衛の言葉に従ふんではないか」

 昭和天皇の励ましを受け、近衛が考えたのは内閣改造、すなわち外相と陸相の更迭である。

 「相手にせず」声明を軌道修正したい近衛にとって、外相の広田弘毅の更迭は不可避といえるだろう。

何事にも消極的な姿勢が目立つ広田は当時、外務省の部下からも信頼されていなかった(※2)。

 5月26日、広田は辞任し、後任には陸軍ににらみを利かせられる、元陸相の宇垣一成が就任する。

 その際、宇垣は近衛に言った。

「声明を反古(ほご)にするかもしれんがよろしいか」

 近衛は答えた。

「万事任せます」(※3)

× × ×

 もう一人、近衛が辞めさせたかったのは陸相の杉山元だ。

内閣書記官長の風見章によると、杉山は悪い人間ではないが、「陸軍の不拡大方針が、どしどしくずれてゆくのを、約束とちがうではないかとせめたててみても、(杉山は)ああ、そうなつちやつたネなどと、ひとごとのようにこたえて、けろりんかんとして」いるようなところがあった。

そんな杉山に、何度煮え湯を飲まされてきたことか。

 近衛が後任に望んだのは、満州事変時の関東軍高級参謀、板垣征四郎である

問題は、陸相人事への介入を拒む陸軍を、どう説得するかだ。

近衛は、昭和天皇にすがった。

 昭和天皇は、内閣改造が成功しなければ近衛が辞職するとみている。

近衛の求めに応じて調整に乗り出し、参謀総長に意向を伝えた。

 参謀総長「板垣でなければ近衛は辞めるでせうか」

 昭和天皇「十中の八九までさうだらう」

 6月3日、陸相は交代し、内閣改造は成功した。

 だが、この新体制のもとで、陸軍が最も恐れていた事態が起こる。

満州の国境で、ソ連が軍事行動を起こしたのだ--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 除名の際、発言の揚げ足をとらえて議員の職まで奪うことに政友会重鎮の尾崎行雄が反発し、あえて西尾と同様、「スターリンの如く」と演説して「西尾君を除名する前に、私を除名せよ」と意地を見せた。

しかし、尾崎は不問にされたが西尾の除名がくつがえることはなく、自由な議論を封じる風潮がますます強まった。

一連の騒動により、議会はさらに弱体化したとされる

(※2) 外務省東亜局長の石射猪太郎は当時の日記で広田を「アキレ果てたる大臣」などと酷評していた

(※3) このときのやり取りには諸説あり、一説には近衛が宇垣に「声明は余計なことだつた。

うまく取消して貰(もら)いたい」と言い、宇垣が「貴方の顔をつぶさぬ様に、機会があれば取消そう」と応じたという

【参考・引用文献】

○木道茂久著「国家総動員法の製作者」(猪瀬直樹監修「目撃者が語る昭和史」第5巻収録)

○古川隆久著「近衛文麿」(吉川弘文館)

○粟屋憲太郎著「昭和の政党」(岩波書店)

○矢部貞治編著「近衛文麿〈上〉」(弘文堂)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」(岩波書店)6巻

○石射猪太郎著「外交官の一生」(中央公論社)

○風見章著「近衛内閣」(日本出版協同)

 

「コメント」

風見章は、共産党員です。近衛の作った昭和研究会のメンバーです。

昭和研究会は多くの共産党員が参加しました。

彼らは、近衛を助けて日本を共産主義化するために協力したのです。

この当時に朝日新聞社の社員に共産党員が多く在籍していました。

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