第149回:同盟問題(1)領土拡張の野望 ヒトラーの演説に、欧州は震えた

昭和天皇の87年

領土拡張の野望 ヒトラーの演説に、欧州は震えた

第149回 同盟問題(1)

1933(昭和8)年以降、膨大な公共投資と軍備拡張で国力を充実させたナチス・ドイツが、いよいよ近隣諸国への侵攻政策を本格化するのは1938(昭和13)年、日本が日中戦争の泥沼にはまっていた頃である。

 同年9月12日のナチス全国党大会最終日、アドルフ・ヒトラーは演説した。

 「全知全能の神は、ベルサイユ条約によって外国の隷属下におくために、ドイツ人を創り出したのではない」

 ヒトラーの当面の目標は、ベルサイユ体制を打破し、第1次世界大戦で失った領土を取り戻すことだ。

同年3月にオーストリアを併合すると、9月の全国党大会でチェコスロバキアへの侵攻を示唆した。

 「私は、チェコスロバキア内でドイツ人同胞が圧迫されているのを、いつまでも黙って見過ごしているつもりはない」

 欧州は震えた。

 ベルサイユ体制の中心である英仏両国首脳は、ヒトラーと対決するより、譲歩する道を選ぶ。

全国党大会からほぼ半月後の9月29日、英仏独伊の4首脳がミュンヘンで巨頭会議を開いたとき、英首相のチェンバレンは、ヒトラーがこれ以上の領土要求を行わないことを条件に、

ドイツ系住民の多いチェコスロバキア領ズデーテン地方のドイツ帰属を認めた。

 戦争を回避したチェンバレンの宥和政策は、一時的に拍手喝采を浴びる。

だが、恫喝(どうかつ)外交で領土の拡張に成功したヒトラーの野望は尽きない。

次の目標をポーランドに定め、欧州の戦雲は日に日に厚く、黒く広がっていった。

× × ×

 一方、ドイツの躍進に、極東から憧憬のまなざしを送る者もいた。

日本の陸軍上層部である。

ソ連の軍事圧力を受ける陸軍は、ドイツと同盟を結ぶことで事態打開の道をひらこうとしたのだ。

 これに対し海軍と外務省は、英米を敵に回すドイツとの同盟など、もってのほかと考えた。

日本経済は英米圏に依存している。

アメリカから石油と鉄の輸入を止められれば、元も子もなくなるだろう(※1)。

 イタリアも含めた日独伊の三国同盟をめぐり、関係省庁の溝が埋まらない中、政権を投げ出した近衛文麿のあとをうけて首相となったのは、枢密院議長の平沼騏一郎である。

平沼が組閣した昭和14年1月5日、駐日アメリカ大使のグルーは嘆息した。

 「中世から復活したような禁欲主義者で神道論者の新首相により、日本は独伊と接近を図るだろう…」

 一方、駐日ドイツ大使のオットーは歓喜した。

 「日本でファシズムの父ともいえる新首相により、日独伊の枢軸関係は強化されるだろう…」

 平沼、このとき71歳。

歴代首相の中で、これほど誤解されることの多い人物はいまい。

やがてグルーもオットーも、平沼への評価を改めることになる。

× × ×

 陸軍や右派勢力に人気のあった平沼が、たびたび首相候補に挙げられながら、穏健保守派の元老、西園寺公望から遠ざけられていたことはすでに書いた。

だが、近衛文麿内閣の後継に平沼を推したのは、同じ穏健保守派の内大臣、湯浅倉平ら宮中側近グループである。

実は、平沼への大命降下が不可避とみた湯浅らは、事前に親英米派の助言者を平沼につけ、ファッショ的な姿勢を懐柔していたのだ(※2)。

 当時、宮中側近ら保守派が憂慮していたのは、英仏を敵に回す独伊との同盟締結問題である。

締結を急ぐ陸軍を抑えられるのは、右翼の総帥ともいわれた平沼しかいないと、側近らは考えたのだろう。

 昭和天皇の意を察した平沼も、自らに課せられた使命を理解したようだ。

組閣の際、外相の有田八郎にこう言った。

 「英仏を相手にしてまで、日本が日独伊防共協定を強化するといふやうなことには、自分は反対である。

万一さういふことを陸軍から強ひられたら、自分は君と一緒に辞める」

× × ×

 ドイツが日本に、軍事同盟を正式に提案したのは1月6日、早くも組閣の翌日である。

提案には、契約国がソ連や英仏など第三国の攻撃対象となった場合、他の契約国は「アラユル使用シ得ル手段ヲ以テ助力ト支援ヲ与フル義務ヲ有スル」とあった。

 ドイツ外相のリッベントロップが、駐独大使の大島浩に付言する。

 「これはヒトラー総統の承認した正式の案文である」

 ドイツの狙いは、欧州を覆う戦雲の下に日本を引き込み、英仏に圧力をかけることだ。

一方、日本としては、ソ連を対象とする同盟案なら大歓迎だが、英仏まで対象に含めたくはない。

平沼内閣は、何とか英仏を除外しようと苦心した。

 だが、政府にとって予想外のことが起きる。

出先の大島らが政府の訓令を無視して、独断専行で走り出したのだ。

発足間もない平沼内閣は、いきなり崖っぷちに立たされる--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 独伊との枢軸強化を支持する声は、海軍でも主に中堅将校らの間で高まっていたが、海相の米内光政、次官の山本五十六、軍務局長の井上成美の3人が結束して反対し、陸軍のように統制が乱れることはなかった。

とくに井上は、独伊と同盟しても得られるのは数隻のUボートぐらいで、海軍にとってメリットはほとんどないと考えていた

(※2) 平沼に外交政策をアドバイスした穏健派には、駐米、駐英大使を務めた宮内大臣の松平恒雄、日銀総裁や蔵相を務めた財界重鎮の池田成彬らがいた

【参考・引用文献】

○綱川政則著「ヒトラーとミュンヘン協定」(教育社)

○池田清著「三国同盟と海軍左派トリオ」(雑誌「歴史と旅」平成11年9月号収録)

○加藤陽子著「昭和一四年の対米工作と平沼騏一郎」(東京大学文学部史学会「史学雑誌」94編11号収録)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」7巻(岩波書店)

○外務省百年史編纂委員会編「外務省の百年〈下〉」(原書房)

○鈴木健二著「駐独大使 大島浩」(芙蓉書房)

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