第151回 同盟問題(3) 苦悩する保守 極秘の和平提案

昭和天皇の87年

苦悩する保守 極秘の和平提案はアメリカに無視された

第151回 同盟問題(3)

日本の進歩主義者や革新派は戦後、「反戦平和」を専売特許にしてしまい、保守派に「好戦的」とのレッテルを貼りたがる。

先の大戦についても、保守派の責任が大きいかのような論説が散見されるが、むろん正しくない。

ざっくり言ってしまえば、革新は理想主義であり、保守は現実主義である。

前者が人間の知性や理性の力を信じ、社会の複雑な問題を特定の理念に落とし込んで単純化しようとするのに対し、後者は感性に重きを置き、

社会の複雑な問題は複雑なままに、無理に解決を急がない。

前者にとって宗教や慣習などの“呪縛”は変革(もしくは革命)の障害であり打破すべきものだが、後者は先人たちの歩みの中に生きるヒントを見いだし、

宗教や慣習はもちろん、長年にわたり引き継がれてきた伝統を大切にする。

前者、すなわち革新は社会を人為的、計画的にコントロールしたがり、究極には国家社会主義を志向する。

しかし後者、すなわち保守は特定の理念に基づく統制に警戒心を抱き、自由な社会を志向する。

ゆえに戦前の革新は、左であればソ連に、右であれば独伊のファシズムにシンパシーを抱いた。

統制派が主導権を握った陸軍中央は、その典型といえなくもない。

一方の保守は、共産主義にもファシズムにも否定的で、米英と手を結ぼうとした。

昭和初期で代表的な保守派といえば、最後の元老、西園寺公望だろう。

昭和14年に首相となった平沼騏一郎はどうか。

ファッショに近いと西園寺からは嫌われていたが、根は紛れもなく、保守だったようである。

× × ×

陸軍から日独伊三国同盟の締結を迫られながら、五相会議を延々と繰り返し、結論を先延ばししていたことは前回書いた。

その平沼が外相の有田八郎を自室に呼び、そっと耳打ちしたのは14年の晩春である。

「アメリカ大使が近く帰国するさうだが、その前に自分のメッセージを大統領に伝へてもらひたい。

日本はアメリカとともにヨーロッパの平和が破れないやうに維持したい、

一日も早く紛争の解決に貢献したいと思ふといふ意味のものである…」

有田の賛同を得た平沼は5月23日、首相官邸で米大使館付参事官のドゥーマンと極秘に会見し、以下の提案を伝えた。

(一)欧州での戦争回避に向け米大統領が英仏に世界会議への参加を打診するなら、日本は独伊に参加を呼びかける準備がある

(二)その世界会議では欧州問題だけでなく極東問題も議題となしうる

(三)中国への和平条件を緩和する用意がある

(四)自分の首相在任中、独伊と軍事同盟を締結することは絶対にない-

× × ×

欧州問題を表向きのテーマにしながら、日中和平の仲介をアメリカに求め、世界会議の名の下に平和を実現する-。

非公式とはいえ、思い切った提案といえるだろう。

しかもメッセージには、日本の未来を独伊に委ねるのではなく、米英とともに歩もうとする保守派の真意もうかがえる。

もちろん平沼は、この提案を外相以外には話さず、ほぼ独断で行った。

事前に漏れれば、日独伊三国同盟に執心する陸軍から横やりが入るのは必至だからだ。

当時の平沼は、いかに周囲から誤解されようとも、すべてを背負う覚悟であった。

ドゥーマンは感動した。

米国務長官にあてて長文の速達便を送るとともに、懇意にしていた元老私設秘書の原田熊雄に、こう打ち明けた。

「総理は実に立派な人ぢやないか」「

(平沼の提案を)アメリカ政府と日本政府との公式の話になつて行くやうにするつもりであるし、また当然さうしなければならない…」

× × ×

平沼は、アメリカからの回答を、祈る気持ちで待ったことだろう。

もしもアメリカが、平沼の提案に少しでも前向きな姿勢を示したなら、先の大戦はなかったかもしれない。

だが、アメリカが下した判断は、平沼に「何ら特別な回答を行わない」というものだった。

その判断はこうだ。

(一)アメリカが和平交渉のイニシアチブをもつと、かえって日本の地位を有利にしてしまう

(二)アメリカが主導的であるほど、日本の軍国主義者たちの逃げ道を広げることになる

(三)どんな和平案も日中双方に妥協を強いることになり、その妥協をもたらしたアメリカが双方の敵意の的(まと)になってしまう…(※1)

歴史は変わらなかった。

アメリカから具体的な回答を得られなかった平沼は、悄然(しょうぜん)と肩を落とす。

しかもこの後、さらなる悪夢が平沼を襲う。

イギリスとの関係が、決定的に悪化してしまうのだ--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 後日に米大統領から届いた回答は、平沼がドゥーマンに口頭で説明した提案には触れず、曖昧で抑制された内容だった

【参考・引用文献】

○加藤陽子著「昭和一四年の対米工作と平沼騏一郎」(東京大学文学部史学会「史学雑誌」94編11号収録)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」7巻(岩波書店)

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