第155回 独ソ不可侵条約 ナチス・ドイツの裏切り

昭和天皇の87年

ナチス・ドイツの裏切り 「これで陸軍が目覚めるなら…」

画=千葉 真
画=千葉 真

第155回 独ソ不可侵条約

満州とモンゴルの国境地帯の、見渡す限りの大草原で日ソ両軍が激突したノモンハン事件。

敵の圧倒的機動力に仰天した陸軍が日独伊三国同盟の締結を急いだのは言うまでもない。

ソ連軍の猛攻で関東軍が敗退するほぼ半月前、昭和14年8月8日に開かれた五相会議(※1)で、陸相の板垣征四郎は「ドイツが提案する三国同盟を、至急、留保なしで締結すべきだ」と力説した。

ドイツの軍事力を味方につければ、ソ連を牽制(けんせい)する強力な後ろ盾となる。

ただしドイツの提案はソ連だけでなく、英仏も攻撃対象としていた。

それに留保をつけることは、昭和天皇に念書まで提出して裁可された不動の方針だ(※2)。

首相の平沼騏一郎は突っぱねた。

「自分としては、苟(いやし)くも一旦お上の御允裁を経てゐる既定方針以外のことを申上げることはできない」

同意が得られなかった板垣は、驚くべき行動にでる。

11日、駐日ドイツ大使と駐日イタリア大使に、「同盟の締結を実現せしめるために、最後の手段として辞職を賭して争う決意である。

(中略)辞職は八月十五日にする積りだから、独、伊両国が譲歩によって援助を与えてくれるよう希望する」と申し入れたのだ。

一国の大臣が他国の大使に倒閣の陰謀を打ち明けるなど、前代未聞の愚行と言えよう。

だが、その後に世界中があっと驚くことが起きる。

23日、ノモンハンで関東軍がソ連軍の猛攻にさらされている真っ最中に、ドイツがソ連と不可侵条約を締結したのである。

× × ×

歴史上、独ソ不可侵条約ほど邪心に満ちた取り決めはないだろう。

互いを敵視するファシズムとコミンテルンが手を結ぶという腹黒さに加え、ポーランドの西半分をドイツの、東半分をソ連の領域とする秘密協定まで盛り込んでいた。

ドイツの支援を期待していた日本の軍部が受けた衝撃は大きかった。

条約の第2条にこう記されている。

「締約国(独ソ)の一方が第三国(日本など)による交戦行動の目標となった場合、他の一方はいかなる方法によっても第三国に援助を与えない」

明白な裏切り行為だ。

三国同盟に奔走していた駐独大使の大島浩は抗議した。

しかし、ドイツ外相のリッベントロップに軽くあしらわれただけだった。

ドイツの狙いは、ポーランド侵攻である。

東のソ連と西の英仏に挟撃されることを避けるため、侵攻前にソ連と手を組んだのだ。

ノモンハンで苦しむ日本のことなど、どうでもよかったのである。

陸軍の面目は丸つぶれだ。

当然、三国同盟の交渉は打ち切られた。

一方、もともとナチス・ドイツを信用していなかった昭和天皇は、むしろ安堵したようである。

23日、侍従武官長に言った。

「これで陸軍が目ざめることゝなれば却て仕合せなるべし」

首相の平沼も、同じ気持ちだったのではないか。

すでに書いたように、英仏を攻撃対象とする同盟は結ばないと心に決めていた。

初志貫徹した平沼に、政権への未練はない。

28日、「欧州の天地は複雑怪奇」の言葉を残し、内閣総辞職した(※3)。

× × ×

こうして、わずか8カ月余で退陣した平沼内閣は外交にも内政にも何ら成果を上げられなかった。

しかし見方を変えれば、成果を上げなかったことこそ最大の実績といえよう。

平沼でなければ陸軍の圧力に抗しきれず、早い段階で三国同盟の締結に舵を切っていたかもしれない。

そんな平沼を陰に陽に助けたのは昭和天皇である。

平沼の在任中に昭和天皇は、同盟締結を急ぐ陸軍の手綱を引こうと、立憲君主の枠内でさまざまなアプローチを試みている。

昭和14年5月25日には、侍従武官長の宇佐美興屋を交代した。

昭和天皇は宇佐美を「人格者ではあつたが、政治的才能に欠け」るとみていたからだ。

元老私設秘書の原田熊雄によれば、宇佐美は「陛下が(陸軍に)『言つてはいけない』と仰せになつたことは先方に通ずる例が非常に多く、『言へ』とおつしやつたことは寧(むし)ろ自分だけ含んでおいて言はなかつたりする」ことがたびたびあった。

これでは陸軍の手綱を引きようがない。

後任の侍従武官長は、中支那派遣軍司令官だった陸軍大将、畑俊六である。

昭和天皇は宮相に命じ、畑が三国同盟に反対であることを確かめさせてから、この人事を裁可した。

畑は、温厚にして誠実な武人だ。

交代後、昭和天皇は侍従武官の一人に「今度の武官長はいゝよ」と語っている。

ノモンハン事件の勃発で陸軍の焦燥が激しくなり、同盟締結の圧力が強まった8月初旬、昭和天皇は平沼に言った。

「統帥権について-言葉を換へていへば陸軍について、何か難しいうるさいことが起つたならば、自分が裁いてやるから、何でも自分の所に言つて来い」

平沼は感激しつつ、内大臣に「陛下をお煩はせすることはよくないから、よくよくでなければ、さういふことは願ふまい」と伝えている。

× × ×

8月28日、平沼内閣の総辞職を受け、組閣の大命が下ったのは、台湾軍司令官などを務めた予備役陸軍大将、阿部信行だ。

内大臣の湯浅倉平らは「阿部は経験に乏しい」などと難色を示したが、陸軍がごり押ししてきたのである。

その阿部が参内したとき、昭和天皇は言った。

《陸軍には久しく不満足であり粛正しなくてはならず、陸軍大臣には現侍従武官長畑俊六

又は陸軍中将梅津美治郎の他には適任者がいないように思われ、たとえ三長官の反対があっても実行するつもりであることを述べられた上で、困難を排し努力することを望む旨の御言葉を賜う》

(昭和天皇実録26巻106頁)

昭和天皇が閣僚人事で、具体名を挙げて指示を出すのは初めてのことだ。

立憲君主の枠組みからも逸脱しかねないが、破滅の戦争を回避するため、あえて自らの意思を表明したのだろう。

だが、いかに昭和天皇でも歴史の流れは変えられない。

阿部内閣の発足直後、欧州で、やがて全世界を巻き込む大戦が勃発する--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 五相会議とは首相、陸相、海相、外相、蔵相の5閣僚で構成する会議。

通常の閣議より機密性が高く、国策の基準などが話し合われた。

平沼内閣時代、首相の平沼は三国同盟に“待った”をかけようと、五相会議を何度も開きながら結論を先送りし続けた

(※2) 平沼内閣は昭和14年3月28日、出先大使の独断専行に政府方針が引きずられることを憂慮した昭和天皇の求めに応じ、三国同盟案に留保をつける念書を提出した

(※3) 平沼は内閣総辞職に当たり、「今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み従来準備し来つた政策は之を打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至りました」との談話を発表した

【参考・引用文献】

○有田八郎著「欧州情勢は複雑怪奇」(猪瀬直樹監修「目撃者が語る昭和史5」〈新人物往来社〉収録)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」(岩波書店)7、8巻

○不破哲三著「独ソ不可侵条約。ポーランド分割」(日本共産党中央委員会理論政治誌「前衛」平成25年11月号収録)

○伊藤隆ほか編「続・現代史資料〈4〉」(みすず書房)収録の「畑俊六日誌」

○寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー編著「昭和天皇独白録」(文芸春秋)

○宮内庁編「昭和天皇実録」26巻

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