第157回 弱体内閣 窮乏する国民生活

昭和天皇の87年

窮乏する国民生活 日米は危険な「無条約時代」に突入した

第157回 弱体内閣

ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、欧州で第二次大戦の火蓋が切られた

昭和14年、いまだ日中戦争の泥沼から抜け出せない日本の国民生活は、窮乏の一途をたどっていた。

 政府は2月、軍需物資の不足を補うため鉄製不急品の回収を開始、ポストやベンチが木製となる。

3月、国民精神総動員委員会が設置され、ぜいたく全廃運動がスタートした。

10月、インフレ抑制のため価格等統制令が施行、商品や運賃、賃料の値上げが禁じられたが、物資不足で闇取引が横行する。

12月、ネオンやエスカレーターなどの電力使用が禁止され、木炭の配給もはじまった…。

 昭和天皇は心を痛めた。その頃から率先し、生活を切り詰めている。

 5月19日《(天皇は)時局を考慮され、金製品の使用を控えるべき旨の思召しにより、従来御使用の金縁の眼鏡をお止めになり、この日よりサンプラチナ縁の眼鏡を御使用になる》(昭和天皇実録26巻61頁)

 6月5日《葉山において採集に御使用の三浦丸は、支那事変以来、油の消費節約の思召しを以て、葉山には回航せず海軍横須賀工廠に依託保管中のところ、この際海軍において活用させるため、下賜されることとなる》(同巻69~70頁)

 9月1日《震災記念日につき例年御昼餐は簡素な御食事とされてきたところ、思召しにより、この日より毎月一日は朝・昼・夕を通じて一菜程度の極めて簡単な御食事とすることを定められる》(同巻110頁)

 物資の欠乏だけでなく、思想統制が強まったことにも、昭和天皇は憂慮を深めた。

 10月27日《(進講者の人選などをめぐり侍従長に)国史研究者につき、皇室に関することは何も批評論議せず、万事を可とするが如き進講は、聴講しても何の役にも立たずと評される。

(中略)新経済学者などの極端な学説は、それに化せられる憂いがあり不可にして、穏健なる進講者にして各種学説を紹介する程を可とする御意見を述べられる》(同巻140頁)

× × ×

 一方、国民生活が悪化する中、同年8月末に発足した阿部信行内閣は、何とも頼りなかった。

そもそも首相の阿部に知名度がなく、「アベに大命降下」と聞いて、いよいよ社会主義者の「安部磯雄(社会大衆党委員長)の出番か」と勘違いした記者もいたほどだ。

ほどなく「弱体無能」のレッテルがはられ、内閣支持率は底を這(は)った(※1)。

 早々に見切りをつけたのは政党である。

阿部は11月に内閣改造を行い、民政党総裁の町田忠治らに入閣を持ちかけたが袖にされた。

12月の議会には政党から内閣不信任決議案と辞職勧告が出され、政友会、民政党、社会大衆党などから賛同する議員が続出、計276人が退陣要求の署名に名を連ねた。

 阿部内閣の不人気は、外交上の失敗にも直結する。

 それまでドイツに傾斜していた外交政策の転換を図ろうと、

親米派の野村吉三郎が外相に起用されたことは前回書いた。

野村が心を砕いたのは、日米通商航海条約の維持だ。

日中戦争に反対するアメリカは7月、同条約を翌年1月に廃棄すると通告しており、これを回避しなければ石油、資材、原料を輸入する保証がなくなってしまう。

 野村は対米宥和のため、日本軍の勢力下にある揚子江の南京下流を経済開放しようとした。

米大使のグルーや英大使のクレーギーとも会談を重ね、12月18日にはグルーに、南京下流の開放を約束する。

野村の誠意はアメリカ本国にも伝わり、12月22日の会談では、米大統領の緊急措置により日米貿易の現状を維持する案がグルーから示された。

 ところが、南京下流の開放に現地の日本軍が反対。

現地軍がアメリカの経済活動を妨害したこともあり、日米交渉は成立の一歩手前で破断した。

弱体の阿部内閣に、現地軍の手綱を引く力はなかったのだ。

野村はのちにこう語っている。

 「揚子江開放どころか上海に入って来るアメリカの艦船などは、日本の現地軍がジャンクをコントロールして妨害したのだから話にならぬ、全く何も彼もぶち壊されてしまったという感じであった。

私一個人の名声などはどうでもよいが、あの時せめて揚子江の開放だけでも実行していたら、また道は通ずるものがあったのではなかろうかと、国家のために残念で堪らぬ」

 明くる15年1月26日、日米通商航海条約が失効。

両国はこれより“安全ロック”のない無条約時代に突入する。

 その10日前、国民からも議会からも、出身母体の陸軍からも見放された首相の阿部は、在任4カ月半ほどで内閣総辞職した。

 後任の大命降下を受けたのは海軍大将、米内光政だ。

しかし、欧州の戦局が新たな展開を迎えたことで、米内内閣も短命に終わってしまう--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 阿部内閣は発足間もない昭和14年10月に価格等統制令を施行し、商品や運賃の値上げを禁じながら、11月には米価を大幅に引き上げるなど矛盾した政策を行った。

このため国民生活はますます混乱し、支持率低下の大きな要因となった

【参考・引用文献】

○毎日新聞社発行「20世紀年表」

○同「昭和史全記録」

○宮内庁編「昭和天皇実録」26巻

○原田熊雄述「西園寺公と政局」8巻(岩波書店)

○矢部貞治編著「近衛文麿〈下〉」(弘文堂)

○堀真清著「第三六代 阿部内閣」(林茂ほか編「日本内閣史録4」〈第一法規出版〉収録)

○木場浩介編「野村吉三郎」(野村吉三郎伝記刊行会)

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