第160回 混迷の内外情勢 「日本が敗戦国となった時には、、、」

昭和天皇の87年

「日本が敗戦国となつた時には…」 首相を本気にさせた天皇の一言

第160回 混迷の内外情勢

日独伊三国同盟が成立した昭和15年9月以降、日米関係は、一気に危険域へと達した。

 同盟締結後の10月12日、米大統領のルーズベルトは「独裁者たちの指示する道を進む意図は毛頭ない」とする強硬な演説を行い、同月30日に蒋介石政権への1億ドル追加支援を発表、

12月には対日禁輸品目の範囲を拡大するなど、日本への圧力を強めていく。

いわゆるABCD包囲網(※1)が急速に形成されていくのも、この頃である。

 自信家の外相、松岡洋右が同盟締結に踏み切った根底には、欧州で快進撃を続けるドイツとの関係を強化し、ドイツの斡旋(あっせん)により日ソ関係をも修復し、

日独伊にソ連も加えた威圧によってアメリカの妥協を引き出すという、したたかな狙いがあった。

松岡の目論見は、無残に打ちのめされたといえよう。

 アメリカからの原料輸入がストップすれば、日本は資源を求めて南方に目を向けざるを得ない。

南方に植民地を持つフランスの降伏で南進論が一気に高まり、日本軍は9月、蒋介石支援の輸送ルート遮断を名目に北部仏印(フランス領インドシナ)へ進駐。

これに反発してアメリカがくず鉄の全面禁輸に踏み切ると、日本軍はさらに南部仏印への進駐を本格検討するなど、事態は悪い方へ、悪い方へと転がり落ちていった。

× × ×

 それより前、昭和天皇は三国同盟の危険性を周囲に繰り返し指摘していた。

7月29日には参謀次長に、こう言っている。

 「独蘇共ニ不信ノ国ナリ 我国カ対米戦争ノ為メ国力ヲ疲弊シアルニ乗シ我国ニ対シ不信行為ニ出ツル時ハ困ラサルヤ」

(「参謀次長 沢田茂回顧録」より)

 9月21日にも内大臣に、「此の同盟を締結すると云ふことは結局日米戦争を予想しなければならぬことになりはせぬか」と憂慮を示した(「木戸幸一関係文書」より)。

 昭和天皇は、当時の国際情勢を正確に把握していたといえるだろう。

その危惧は、不幸にしていずれも的中する。

 もうひとり、三国同盟を強く懸念した保守派の重鎮がいた。

最後の元老、西園寺公望だ。

私設秘書の原田熊雄に反対の意思を何度も示し、政治問題も含め「馬鹿げたことだらけで、どうしてこんなことだろうと思ふほど馬鹿げてゐる…」とまでこばしている。

 その西園寺も11月24日、腎盂(う)炎をこじらせて不帰の人となった。

享年九十。末期の病床で「外交もどうもこれぢやあ困る」と独り言をいうなど、どこまでも国家を案じた重臣中の重臣だった。

 翌日、昭和天皇は内大臣の木戸幸一に、《一時間余にわたり公爵西園寺公望の死去を悼まれ、種々思召しを示される》

(昭和天皇実録27巻205頁)

× × ×

 第2次近衛文麿内閣の発足により、急変したのは外交政策だけではない。

議会情勢も激変した。

近衛を中心とする新体制運動に乗り遅れまいと、各政党が雪崩を打って解散したのだ。

 早くも組閣前の昭和15年7月6日に社会大衆党が解散したのをはじめ、16日には政友会久原派、組閣後の26日に国民同盟、30日に政友会中島派、8月15日には議会中心主義の民政党まで解党し、帝国議会は無政党状態となってしまう。

 一方、近衛は8月27日に新体制準備会を立ち上げ、政界、財界、言論界の有力者を委員にして挙国一致体制づくりを本格化する(※2)。

従来の権力分立主義では国家の総力を一元化しにくいと、憲法改正までほのめかすようになった。

 一段と強まる政治の統制色-。

それを憂慮したのは、昭和天皇である。

8月31日、昭和天皇は内大臣の木戸幸一に、《憲法改正が必要ならば、正規の手続きにより改正することに異存はないが、総理がとかく議会を重視していないように思われること、

また我が国には歴史上、蘇我と物部、源氏と平氏を始め常に相対立する勢力が存在していることに鑑み、相対立する二つの勢力を統一することは困難と思われる旨の御感想を述べられる》

(昭和天皇実録27巻135頁)

 この年は皇紀2600年。

皇室の傘の下、対立する勢力も共存してきたのが日本の歴史だ。

昭和天皇は、ファシズムのような権力集中体制は国柄に合わないと、考えていたのだろう。

 近衛の新体制運動は、10月12日に発足した大政翼賛会に帰着する。

しかし、途中で嫌気がさした近衛が投げ出したため、同会はやがて近衛の真意とは真逆の、

軍部の方針を支えるだけの組織になり果てていく。

 この間、日中戦争も行き詰まっていた。

親日派の汪兆銘が1940(昭和15)年3月、日本の意を受けて新政府を樹立するも中国民衆の支持は得られず、参謀本部などがひそかに進めてきた蒋介石政権に対する裏面工作(桐工作)も、10月には頓挫した。

何をやってもうまくいかなかったのだ。

× × ×

 昭和天皇は、破滅の戦争の足音が近づいてくるのを、感じ取っていたのではないか(※3)。9月16日、参内した近衛に言った。

 「自分は、この時局がまことに心配であるが、万一日本が敗戦国となつた時に、総理も、自分と労苦を共にしてくれるだらうか」(※4)

 これまで、多くを中途半端に投げ出してきた近衛だが、この一言は胸に重く突き刺さったはずだ。

以後、近衛は人が変わる。

決死の思いで、日米開戦の回避に奔走するのである--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載 来週からは「開戦前夜」編を連載します)

(※1) アメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)、中国の(China)頭文字をとった対日経済包囲網

(※2) 近衛は新体制運動に取り組む一方、1国1党的な政治体制は国体に反するとし、新党運動からは距離を置いた

(※3) 昭和天皇は重大局面に備え、皇族が務める陸海両総長の更迭検討を指示、参謀総長に杉山元(10月3日)、軍令部総長に永野修身(16年4月9日)が就任した

(※4) 近衛はこのとき、伊藤博文が明治天皇に「(日露戦争で敗戦したら)爵位勲等を拝辞し、単身戦場に赴いて討ち死にする覚悟です」と言上した例を挙げながら、

「自分も及ばずながら誠心御奉公申上げる覚悟です」と奉答した。

翌日の閣議でこのやりとりを聞いた外相の松岡洋右は、声をあげて泣き出したという

【参考・引用文献】

○外務省百年史編纂委員会編「外務省の百年〈下〉」(原書房)

○矢部貞治編著「近衛文麿〈下〉」(弘文堂)

○松岡洋右伝記刊行会編「松岡洋右-その人と生涯」(講談社)

○義井博著「昭和外交史」(南窓社)

○沢田茂著「参謀次長 沢田茂回顧録」(芙蓉書房)

○木戸日記研究会編「木戸幸一関係文書」(東京大学出版会)

○原田熊雄述「西園寺公と政局」(岩波書店)8巻

○宮内庁編「昭和天皇実録」27巻

○粟屋憲太郎著「昭和の政党」(小学館)

○古川隆久著「近衛文麿」(吉川弘文館)

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