第166回 激怒する外相 退場させられた松岡洋石

昭和天皇の87年

退場させられた松岡洋右 天皇の我慢にも限界があった

第166回 激怒する外相

凄惨な独ソ戦が勃発する1カ月半ほど前、昭和16年5月6日、宮中に慶事があった。

 《この日、成子内親王と盛厚王の結婚内約が公表される。

午後、(昭和天皇は)皇后と共に奥内謁見所において稔彦(なるひこ)王妃聡子内親王と御対面になり、御礼の言上を受けられる》(昭和天皇実録28巻77頁)

 当時15歳の成子内親王は昭和天皇の長女、24歳の盛厚王は東久邇宮稔彦王の長男、またとない良縁だ。

2人の将来のためにも、昭和天皇の平和を願う思いは一段と強まったのではないか。

昭和天皇は翌日、婚約のお礼で参内した稔彦王に外交問題を語り、

《日本の前途如何は日米交渉の成否にありとして、交渉の成立を特に希望される》(同巻巻78頁)

 このとき昭和天皇が期待を寄せたのは、駐米大使の野村吉三郎からもたらされた日米諒解(りょうかい)案である(※1)。

首相の近衛文麿から、米大統領も交渉を望んでいると聞かされた昭和天皇は言った。

 「総(すべ)ては忍耐だね、我慢だね…」

 この言葉からも昭和天皇の、すがるような思いが伝わってこよう。

× × ×

 だが、昭和天皇の切なる願いは一人のへそ曲がりによって断ち切られる。

外相の松岡洋右が日米諒解案に同意せず、大幅に修正したからだ。

松岡の修正案に対し、米国務長官のハルが米政府の回答を提示したのは1941(昭和16)年6月21日、実に独ソ戦開始の前日である。

日独伊三国同盟について、従来以上に無力化を強調する内容だった。

 そのタイミングからみて、アメリカは独ソ戦の開始を正確に予測していたのだろう。

ハルは日本側に、米政府の回答は公式ではないとしてさらなる交渉の余地を残しつつ、暗に松岡の更迭を促すオーラル・ステートメント(口述書)を発した。

 「不幸ニシテ政府ノ有力ナル地位ニ在ル日本ノ指導者中ニハ 国家社会主義ノ独逸及其ノ征服政策ノ支持ヲ要望スル進路ニ対シ 抜キ差シナラサル誓約ヲ与ヘ居ルモノアル…」

「斯カル指導者達カ公ノ地位ニ於テ斯カル態度ヲ維持シ 且公然ト日本ノ世論ヲ上述ノ方向ニ動カサント務ムル限リ (中略・日米交渉の成果に)幻滅ヲ感セシムルコトトナルニ非スヤ…」

 松岡が激怒したのは言うまでもない。

7月12日の大本営政府連絡懇談会。松岡は傲然と言った。

 「米人は弱者には横暴の性質あり、このステートメントは帝国を弱国、属国扱いにしておる」

「我輩はステートメントを拒否することと対米交渉はこれ以上継続出来ぬことをここに提議する」

 感情むき出しの、突然の交渉内切り宣言。

首相の近衛は頭を抱えた。

陸海両相らが交渉継続を強く主張したため、松岡は渋々同意するが、翌日は病気と称して引きこもり、米政府の回答への対案を検討しようとしない。

軍上層部や内閣書記官長らがおどしたりなだめたりしながら、ようやく対案がまとまったのは14日のこと。

しかし、松岡はそれを駐米大使に訓電する前に、ステートメント拒否の訓電を出すべきだと言い張り、近衛らが反対したにもかかわらず独断で発出してしまった。

× × ×

 近衛は、ついにさじを投げる。

翌15日に参内し、閣内不一致で総辞職の意向を奏上したのだ。

 昭和天皇は言った。

 「松岡だけをやめさせるわけにはゆかぬか…」

 18日、第二次近衛内閣は総辞職したものの、再び近衛に大命降下があり、松岡を除外する形で第三次近衛内閣が発足する。

ここに、ようやく日米交渉を本格化させる態勢ができたのだが……。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 日米諒解案とは昭和16年3月、米カトリック系メリノール宣教会の神父ドラウトと産業組合中央金庫理事の井川忠雄ら日米の民間人が中心となってまとめた、日米交渉開始の土台となる基本方針。

三国同盟で日本が譲歩するかわりに、日中戦争でアメリカが妥協したといえる内容で、米国務長官のハルは駐米大使の野村吉三郎に、諒解案を日本側から正式に提起すれば、交渉に応じることを内諾した(本連載163回参照)。

だが、陸軍省が米国に派遣した前軍事課長の岩畔豪雄(いわくろひでお)の工作により、アメリカ側が提案したような形で日本側に伝えられた。

また、ハルは日米交渉の前提として、(1)あらゆる国家の領土保全(2)他国の内政への不干渉(3)通商上の機会均等(4)太平洋での現状維持-の4原則を示したが、政府の反発を危惧した野村は、それを外務省に報告しなかった。

こうしたこともあって昭和天皇は、日米諒解案に過度の期待を寄せることにもなった

【参考・引用文献】

○宮内庁編「昭和天皇実録」28巻

○角田順著「日本の対米開戦」(日本国際政治学会太平洋戦争原因研究部編著「太平洋戦争への道〈7〉日米開戦」〈朝日新聞社〉収録)

○外務省百年史編纂委員会編「外務省の百年〈下〉」(原書房)

○松岡洋右伝記刊行会編「松岡洋右-その人と生涯」(講談社)

○富田健治著「敗戦日本の内側」(古今書院)

○防衛研究所戦史部監修「昭和天皇発言記録集成〈下〉」(芙蓉書房)

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