第167回 首相の覚悟 開戦まで「日本をあやしておける」!?

昭和天皇の87年

開戦まで「日本をあやしておける」!? 米大統領の非情外交

画=筑紫直弘画=筑紫直弘

第167回 首相の覚悟

都心のベッドタウンとして知られる東京都杉並区荻窪。

JR中央線荻窪駅から徒歩15分、マンションが立ち並ぶ住宅街に、古風な日本家屋が数棟、木々に囲まれて建っている。

戦前の首相、近衛文麿が居住した荻外荘(てきがいそう)だ。

第二次近衛内閣が発足する直前の昭和15年7月19日、外相候補の松岡洋右

陸相候補の東条英機、海相候補の吉田善吾が荻外荘に集まり、大命降下した近衛と密談、日独伊の連携強化など外交の基本方針を決めた。

有名な荻窪会談である。

それからちょうど1年、昭和16年7月18日に発足した第三次近衛内閣に、松岡の姿はなかった。

代わりに外相となったのは元海軍次官の豊田貞次郎。

外交の専門家ではないが、駐米大使の野村吉三郎とは同郷(和歌山県出身)で、海軍兵学校の7期後輩でもある。

この人事の背後には、外交の基軸を独伊から米英に移そうとする、近衛の覚悟がうかがえよう。

× × ×

だが、近衛に吹く時代の風は、どこまでも冷たかった。

第二次近衛内閣からの既定方針に基づき、7月28日に実施した南部仏印進駐(※1)が、近衛にとっても日本にとっても致命傷となってしまうのだ。

日米交渉でアメリカは、中国に和平を勧告する代わりに、三国同盟の無力化と南進政策の放棄を求めていた。

それを無視する形で行われた南部仏印進駐に対するアメリカの対応は峻烈過酷を極める。

7月25日に在米日本資産の凍結令を発したほか、8月1日には石油の全面禁輸に踏み切った。

イギリスやオランダも制裁に追随し、日本の軍需物資輸入の道はほぼ閉ざされた。

今や近衛の耳にも、開戦の足音がはっきりと聞こえたに違いない。

× × ×

ところでその頃、荻窪の荻外荘には近衛家の使用人らとともに、眼光鋭い禿頭(とくとう)の男が住み込んでいた。

昭和7年に血盟団事件(※2)を首謀した右翼テロリスト、井上日召(にっしょう)である。

近衛は、15年に出獄した井上を用心棒として雇い入れた。

命が惜しかったからではない。

命を狙われるほどの危険を、敢えて冒そうとしたからである。

石油の全面禁輸が決定した3日後、ついに近衛は決心する。

米大統領とハワイのホノルルで会談し、たとえ日本に不利な条件を突きつけられても、一気に交渉をまとめようとするのだ。

その際には中国からの撤兵も辞さず、場合によってはホノルルから昭和天皇に電話し、裁可を願って調印するつもりだった。

近衛はこの非常手段を、元内務官僚で治安問題に詳しい枢密顧問官の伊沢多喜男に相談した。

伊沢「これをやれば殺されるに決まっているが…」

近衛「生命のことは考えない」

ポピュリストといわれた近衛の、命がけの決心-。

訓電を受けた駐米大使の野村は、太平洋の虹となる日米首脳会談の実現に向けて奔走する。

国務長官のハルは冷淡だったが、大統領のルーズベルトが野村にみせた反応はやや違った。

「ホノルルに行くことは地理的に困難である。

自分は飛行機の搭乗を(医師から)禁ぜられて居る。

ジュノー(アラスカ)はどうか。

丁度(ちょうど)ワシントンと東京の中間であると思ふが…」(※3)

ルーズベルトは前向きだ。

野村は一瞬、喜色を浮かべたことだろう。

だが、この言葉には裏があった。

それより前、8月上旬に米英首脳会談が行われたとき、一層の対日強硬策を求めるチャーチルに、ルーズベルトはこう言ったという。

「私に任せてほしい。私は、三カ月間ぐらい彼らをあやしておけると思っている」(※4)

アメリカにとって日米交渉は、もはや開戦準備を完了するまでの時間稼ぎとなりつつあったのだ--。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 南部仏印進駐とは、日独伊三国同盟の締結後に米英などの対日経済制裁が強まったため、資源獲得の必要から昭和16年7月、フランス領インドシナ(仏印=現在のベトナム、ラオス、カンボジア)の南部に日本軍が進駐したこと。

それより前の昭和15年9月、援蒋ルート遮断のため北部仏印に進駐した際も米英は反発したが、日本側が予想したほどではなかったため、当時の陸海軍は南部に進駐しても大きな反発は招かないと楽観していた

(※2) 血盟団事件とは、昭和7年2~3月、日蓮宗僧侶の井上日召率いる「血盟団」のメンバーが一人一殺を掲げ、政財界の要人を暗殺した連続テロ事件。

前蔵相の井上準之助と三井合名会社理事長の団琢磨が殺害され、井上日召と実行犯2人が無期懲役の判決を受けたが、昭和15年に恩赦で出獄した

(※3) このときルーズベルトは野村に、日米交渉に前向きな姿勢を示しつつも、日本の軍事行動に警告を発し、日本政府の態度と計画について明快な声明を発表するよう求めた

(※4) 当時のルーズベルトの言動や思考については諸説ある

【参考・引用文献】

○義井博著「昭和外交史」(南窓社)

○富田健治著「敗戦日本の内側」(古今書院)

○矢部貞治編著「近衛文麿〈下〉」(弘文堂)

○野村吉三郎著「米国に使して」(岩波書店)

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