第217回 イデオロギー対立(1) 国民9割が天皇支持

昭和天皇の87年

国民9割が天皇支持 かくて退位論の火は消えた

画=千葉真画=千葉真

第217回 イデオロギー対立(1)

東条英機ら7人が死刑判決を受けた極東国際軍事裁判(東京裁判)の終盤、

昭和天皇の皇位も、重大な危機をはらんでいた。

開戦の責任をとって退位すべきだという声が、主にインテリ層の間で再燃しだしたからだ。

発端は昭和23年5月、最高裁長官の三淵忠彦が週刊朝日の対談記事で、「陛下は何故に自らを責める詔勅をお出しにならなかつたか」と発言したことだった。

これが海外に誤伝され、ロンドン発ロイター電が「降伏記念日たる八月十五日を期して天皇の退位が行われるであろうとの噂が東京で強まつている」と配信。

内外メディアの退位是非論に火が付いた。

 6月9日、東大総長の南原繁が中国中央通信社のインタビューに答えて言う。

「私は天皇は退位すべきであると思う、これは全国の小学教員から大学教授にいたるまでの共通意見である、しかし天皇の退位はあくまでも自発的行為に待つべきである…」

これを受けて6月12日、同通信社の解説記事を国内各紙が転載した。

「教養の高い日本人たちは退位によつて天皇制にまつわる戦争責任の跡をぬぐい去ることができるとし、一致して退位に賛成している…」(※1)

こうした内外の声に浮足立ったのが、当時首相の芦田均だ。

芦田は日記に書いた。

「六月七日のTimeとNewsweekが天皇退位の問題を書き立てゝゐる。

それが更に難問だ。私には決心はできてゐる。決心通りに行けば、私は閑雲野鶴を侶とすることができる…」

東大総長が退位を公言し、首相までも画策していることに、昭和天皇はどんな気持ちでいただだろう。

昭和天皇が、敗戦による国土の荒廃と国民生活の窮乏に、自身の「不徳」を感じていたことは事実だ。

ときの宮内府長官、田島道治が残した拝謁記にも、退位をめぐり揺れる聖慮がつづられている(※2)。

一方で昭和天皇は、「退位した方が自分は楽になるであろう」と思いつつ、皇位にとどまり、最後まで国民と苦楽を共にする道を歩もうとする。

退位の憶測報道がさかんだった7月9日、昭和天皇は《約一時間にわたり元宮内大臣松平恒雄の拝謁をお受けになる。

その際松平より、御退位問題につき確認を受けられ、天皇として留まり責任を取られる旨の御意向を示される》

(昭和天皇実録37巻62頁)

× × ×

退位論の背景には、戦前戦中の日本を「悪」とし、先の大戦の大義を認めない自虐史観がある。

もしもこの時、昭和天皇が退位すればどうなったか。

戦前と戦後は完全に分断され、天皇も責任を認めたとして自虐史観が固定化し、皇室制度の土台もひび割れしたに違いない。

だが、そんな退位論の火を消したのは、昭和天皇を慕う一般国民の声だった。

例えばマッカーサーのもとに届けられた東北地方の村民の手紙には、こう書かれている。

「近時、新聞に陛下の御留位に関しての賛否両論が、外電並びに国内世論として取り上げられておりますが、我々はこのことを遺憾とする者であります」

「陛下御自身としては、御位を退くことが許されれば、その己を責め給ふ御胸中は寧(むし)ろ御楽となられるであらうことを、国民は百も承知し乍(なが)ら、

而(しか)も御留位のつらさに堪へ給ひて国の中心となられ、明日への希望の灯を消し給はざらむやう祈願してゐるのであります」

こうした反応は国民の一部に限られたものではない。

同年8月に読売新聞が実施した世論調査では、天皇制度について「あった方がよい」90・3%▽「なくなった方がよい」4・0%▽「わからない」5・7%。

退位問題については「在位された方がよい」68・5%▽「皇太子にゆずられた方がよい」18・4%▽「退位されて天皇制を廃した方がよい」4%▽「わからない」9・1%-という結果だった。

一方、同年11月に朝日新聞が掲載した「指導者層(インテリ層)」対象の調査では、「政治・法律・社会」的指導者層の50・9%、

「教育・宗教・哲学」的指導者層の49・0%が退位に賛成している(※3)。

東大総長の南原繁をはじめ、新聞報道に登場する著名人らが退位論を振りかざす中、一般国民の9割が天皇制度の存続を支持し、7割が在位を求めていた意義は、決して小さくないだろう。

× × ×

左派的なインテリ層を中心とする退位論の再燃と、それに拒絶反応を示す一般国民との間にあって、当惑したのはGHQである。

9月10日、GHQはUP通信を通じ、新聞各紙に見解を明らかにした。

一、天皇は依然最大の尊敬を受け、近い将来天皇が退位するようなことは全然考えられていない

一、天皇退位のうわさは共産党や超国家主義者の宣伝によるものである

一、現在の天皇が今後長く統治を続ける(在位する)ことが、日本国民および連合国の最大の利益に合致する…

この発表により、退位論は沈静化する。

断絶されかけた「戦前」と「戦後」は、昭和天皇という太い幹によってつながることとなった。

大多数の国民の声が、国体を護持したのだ。

中断していた地方巡幸も24年5月に再開され、熱狂的な「天皇陛下万歳」が各地で響き渡ったのは言うまでもない。

その頃、アメリカが主導する占領政策も、大きく変わろうとしていた--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 南原は、自身の発言が波紋を呼んだことに狼狽(ろうばい)し、翌日の朝日新聞で「小学教員から大学教員にいたるまで(退位が)共通意見だということはなく、

ただ心ある者のうちにはそう考えているものもあるといつただけだ。

自分もその一人で自分の意見はいまも変つていない」と弁明した

(※2) 令和元年8月にNHKがスクープした田島の拝謁記には、サンフランシスコ講和条約の締結前に昭和天皇が「講和ガ訂結(ママ)サレタ時ニ又退位等ノ論が出テイロイロノ情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルヽ」と話し、

締結後にも「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬ」と発言したことが記されている。

ただ、田島はもともと退位論者であり、拝謁記に書かれた内容だけで昭和天皇の真意を判断することはできないとする見方もある

(※3) 指導者層の調査でも、「指導的国会議員」と「経済界の指導層」は退位反対が8割以上を占めた

【参考・引用文献】

〇「週刊朝日」昭和23年5月16日号

〇「芦田均日記」2巻(岩波書店)

〇高橋紘著「人間 昭和天皇〈下〉」(講談社)

〇宮内庁編「昭和天皇実録」37巻

〇勝岡寛次著「万世一系と日本の国柄-天皇退位問題の再燃と東京裁判の判決」(日本協議会・日本青年協議会「祖国と青年」平成20年4月号収録)

〇武田清子著「天皇観の相剋」(岩波書店)

〇昭和23年6月12日の朝日新聞、同月13日の朝日新聞、読売新聞

〇昭和23年9月11日の時事新報

〇令和元年8月20日の産経新聞、同日の毎日新聞

コメントを残す

サブコンテンツ

i2i


サイト内ランキング



アクセスカウンター


このページの先頭へ