第219回 朝鮮戦争: 赤く燃えた38度線 マッカーサーは暴走した

昭和天皇の87年

赤く燃えた38度線 マッカーサーは暴走した

 

第219回 朝鮮戦争

 朝鮮半島を横切る1本の線-38度線。

先の大戦の終結間際、半島を南北に分けてソ連と分割統治しようとしたアメリカのペンタゴンで、米陸軍次官補のマックロイらが地図上に引いた北緯38度の境界線だ。

 それから5年、地図の線が、赤く燃えた。

 1950(昭和25)年6月25日の払暁、猛烈な砲撃が大地を揺らし、13万人余の北朝鮮軍が一斉に38度線を越える。

宣戦布告なき奇襲攻撃。朝鮮戦争の勃発である。

 それより前、日本の敗戦によりアジア情勢は激変していた。

既述のように中国では蒋介石の国民党軍と毛沢東の人民解放軍が内戦に突入

勝利した毛沢東が1949年、中華人民共和国の建国を宣言する。

インドネシアでも同年、初代大統領となるスカルノが旧宗主国オランダとの闘争の後、独立を宣言した。

仏領インドシナ(ベトナム)では1946年にホー・チ・ミンのベトミン軍が蜂起し、熾烈なゲリラ戦が8年にわたり繰り広げられた(※1)。

 朝鮮半島をめぐる情勢は、さらに複雑だった。

米英中の連合国が戦時中に掲げた「朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意」(カイロ宣言)は守られず、米ソによって南北に分断。

南の李承晩が1948年に大韓民国を成立させると、北の金日成は朝鮮民主主義人民共和国を建国し、ソ連と中共の軍事援助を受けた。

そして始まったのが、朝鮮戦争だった。

× × ×

 北の奇襲攻撃を誰も予測できなかったわけではない。

前年12月には韓国陸軍情報局がこんな報告書を作成している。

 「最近の政情と諸般の情報を総合すれば、明一九五〇年春を契機として敵情の急変が予期される。

北傀(北朝鮮)は全機能をあげて戦争準備を整えたならば、三八度線一帯にわたって全面攻勢をとり、大韓民国を一挙に転覆する企図を有していると判断される」

 報告書を書いた情報作戦室長の名は朴正煕。

のちの韓国大統領である。

 だが、韓国政府首脳もペンタゴンも、この報告書にさほどの興味を示さなかった。

世界最強のアメリカが支援する韓国に喧嘩を売るなど、正気の沙汰とは思えなかったのだ。

朴正煕ら情報当局の警告に基づき1950年6月11日から非常警戒態勢がとられたが、10日あまりで解除してしまう。

弛緩した軍上層部は6月24日に将校クラブでダンスパーティーを開き、深夜まで飲み騒いだ。

 翌25日早朝、酔いつぶれた彼らは、38度線のほぼ全域にわたって鳴り響いた砲弾の目覚ましに、飛び起きることになる。

× × ×

 不意を突かれた韓国軍は随所で敗退、潰走した。

早くも開戦4日でソウルが陥落、8月には半島南端の釜山にまで追い詰められる(※2)。

一方、ソ連抜きで開催された国連安保理は北朝鮮を侵略者と認定し、アメリカ主体の国連軍を組織した。

その指揮をとったのは、東京にいる連合国軍最高司令官、マッカーサーである。

 劣勢のマッカーサーは一か八かの勝負に打って出る。

ソウル西方20キロの仁川に大軍を奇襲上陸させ、一気にソウルを奪還しようというのだ。

失敗すれば元も子もない作戦にペンタゴンは猛反対し、米陸軍参謀総長、米海軍作戦部長、米空軍参謀次長がそろって来日、翻意を促したが、マッカーサーの決意は固かった。

 9月15日、米本土の第1海兵師団と在日米軍第7師団を主力とするマッカーサーの第10軍団は仁川に上陸。

怒涛(どとう)の進撃で同月末にソウルを奪還する。

作戦成功のオッズは5000対1ともいわれた“大博打”に、マッカーサーは勝ったのだ。

撃破された北朝鮮軍は敗走を重ね、10月半ばには平壌からも撤退した。

× × ×

 この時点で、北朝鮮の滅亡を疑うものはいなかっただろう。

復活した韓国軍と国連軍は中朝国境の鴨緑江に迫り、李承晩が唱える「北進統一」まであと一息だった。

 だが、ここで毛沢東が動く。

 10月25日、進撃中の韓国軍部隊が正体不明の敵と遭遇、瞬時にして壊滅的打撃を受けた。

ひそかに鴨緑江を渡岸し、反撃の機会をうかがっていた中国第4野戦軍第38軍、39軍、40軍、42軍の計12個師18万人が、いよいよ行動を開始したのだ。

 朝鮮戦争の勃発当初、毛沢東の中国政府は「この戦争は国内戦である」とし、静観する構えをみせていた。

建国宣言からわずか1年。

国共内戦の爪痕も深く、世界最強の米軍と武力戦を交える力はとてもない。

 マッカーサーも、中国は参戦しないと踏んでいた。

10月15日に米大統領トルーマンと会談した際、「中国が介入する可能性はどうか」と問われて、こう豪語している。

 「ほとんどありません。(北朝鮮軍が有利だった)戦争勃発一、二カ月後に介入していたら、決定的だったでしょう。

しかし、中国の介入はもはやこわくありません。

もしも中国が(介入して)平壌を取ろうとしても、最大の殺戮(さつりく)があるだけです」

 10月25日に中国軍が姿をみせても、マッカーサーは局地的な介入とみて、強気な作戦方針を変えようとはしなかった。

しかし、11月25日に中国軍の総攻撃が始まると米軍主体の国連軍は随所で敗退。

12月5日には平壌を奪われ、38度線以南に総退却する(※3)。

× × ×

 仁川上陸作戦の栄光から3カ月足らず-。

米軍史上最悪ともいわれる敗走を喫し、面目を失ったマッカーサーは怒りに震えた。

トルーマンに(1)中国の沿岸封鎖(2)中国本土の爆撃(3)蒋介石の台湾軍投入-を建言し、そのどれもが拒絶されると、ついに暴走する。

 中朝と米韓の両軍が38度線をはさんで膠着(こうちゃく)状態に陥っていた1951年3月、ここが引け時と、トルーマンが停戦を模索していたときのことだ。

ペンタゴンから「大統領が紛争解決に向けた声明の準備を進めている」と伝えられたマッカーサーは、本国に無断で以下の声明を発表した。

 「作戦は予定通り継続されている。われわれは南朝鮮から組織的共産勢力の大幅排除に成功した。

われわれの日夜を置かぬ大量空襲と艦砲射撃によって敵軍の補給線は重大な損害を蒙り、前線部隊は明らかに作戦継続に必要な物資の不足をきたしている」

「戦術的成功よりもっと大きな意義を持つのは、この新しい敵、すなわち軍事力が誇示され、誇張された中共が近代戦争の遂行に必要な多くの重要品目を適切に供給するだけの工業能力に欠けていること-それが明白になったことである」

「しがたって敵軍は、国連が戦争を朝鮮地域に制限するという寛容な努力を捨て、中国の沿岸地域と内陸基地にわれわれの軍事作戦を拡大することに決定すれば、中共はたちまち軍事的に崩壊する運命にあることを、いまや痛感しているにちがいない…」

 その気になれば中国軍などいつでも叩き潰せるという、挑発そのものである。

和平工作を台無しにされた格好のトルーマンは4月、日本の占領統治を含むマッカーサーの全軍職を解任した。

 「私は大統領として、四軍最高司令官として、貴官を連合軍最高司令官、国連軍最高司令官、極東方面最高司令官、極東方面陸軍最高司令官から解任することが私の義務になったことを遺憾とする」

 トルーマンがマッカーサーにあてたメッセージである。

× × ×

 その日、昭和26年4月9日、マッカーサーは東京の米大使館公邸で、来日中の米上院議員らを招いてささやかな昼食をとっていた。

そこへ副官が、解任を伝えるラジオニュースのペーパーを手にあらわれた。

マッカーサーの妻、ジーンがペーパーを受け取り、その内容を夫の耳元でささやく。

マッカーサーは一瞬、凍りついたようになったという(※4)。

 やがていつもの表情に戻ったマッカーサーは、妻に言った。

 「ジーニー、どうやらこれで帰国できるよ」--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 仏軍とベトミン軍との第1次インドシナ戦争は1954年まで続き、仏軍が撤退したもののベトナムは南北に分断、のちのベトナム戦争へとつながった

(※2) 朝鮮戦争勃発時の北朝鮮軍の戦力は計10個師団(約13万5千人)で、先の大戦末期に日本軍を苦しめたT-34戦車やYak戦闘機などソ連製の武器を完備していた。

一方、韓国軍は計9個師団(約9万8千人)ながら戦車を1台も保有しておらず、装備も劣弱で旧日本軍の九九式短小銃で補うような状況だった。

こうした戦力差に加え、北朝鮮軍は事前にゲリラ兵を送り込んでおり、それが第五列となって韓国領内を攪乱(かくらん)したことが、初戦の韓国軍惨敗につながった

(※3) 二転三転する戦局の中で、韓国領内の共産主義者や北朝鮮シンパとみられた住民らが多数虐殺される保導連盟事件、居昌事件などの悲劇も起きた。

韓国軍や警察によって虐殺された住民らは数十万人以上に上るとされる

(※4) トルーマンはマッカーサーの名誉を重んじ、極東に派遣中の陸軍長官を通じて事前に解任を伝えようとしたが、新聞に漏れたため急きょ記者発表し、解任のニュースが世界中を駆けめぐった

【参考・引用文献】

〇李圭泰著「連合国の朝鮮戦後構想と三八度線」(一橋大学一橋学会「一橋論叢」平成4年8月号収録)

〇陸戦史集「朝鮮戦争〈5〉~〈8〉」(原書房)

〇クレイ・ブレアJr.著「マッカーサー」(パシフィカ)

〇デイヴィッド・ハルバースタム著「ザ・フィフティーズ〈1〉」(新潮社)

〇ダグラス・マッカーサー著「マッカーサー回想記〈下〉」(朝日新聞社)

〇小谷秀二郎著「朝鮮戦争 38度線、悲劇の攻防」(サンケイ出版)

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