第221回 主権回復(1)「日本」を貫いた孤高の国母

昭和天皇の87年

「日本」を貫いた孤高の国母 旭日を見ずに無念の崩御

画=筑紫直弘
画=筑紫直弘

第221回 主権回復(1)

それは、あまりに突然のことだった。

 昭和26年5月17日《午後三時三十分、皇太后は大宮御所において突然狭心症の発作に見舞われ、皇太后宮侍医小原辰三の応急処置を受けられるが、四時十分、崩御される。御歳六十六》

(昭和天皇実録40巻40頁)

 皇太后-すなわち昭和天皇の母、貞明皇后は、聡明にして気丈な国母だったと伝えられる。

 名門華族・九条道孝の4女に生まれ、よく日焼けしたお転婆な少女だったことから、女学校時代は「九条の黒姫さま」と呼ばれた。

16歳で皇太子妃になり、昭和天皇をはじめ4人の皇子を出産。

皇后となってからは病弱な大正天皇を献身的に支える一方、ときの最高権力者である元老、山県有朋とも毅然とわたりあい、宮中で最も恐れられる存在であった。

 そんな貞明皇后の、生来の高徳が広くあられるのは大正天皇の崩御後、皇太后となってからだ。

主な事跡として養蚕業の奨励、ハンセン病患者の救済、灯台守の支援が知られるが、そこには、国民とのつながりを大切にし、中でも弱者や孤立者に寄り添おうとする姿勢がうかがえる。

 戦後は関東、甲信、東北などの山村にまで足を踏み入れ、養蚕農家らを励まして回るとともに、大宮御所に訪れる勤労奉仕団の国民と歓談するのを何よりの楽しみにしていた。

 崩御の日も、愛知県から訪れた奉仕団が除草作業をしており、あいさつしようと準備をしていたとき、突然発作を起こしたのである。

直前まで何の兆候もなく、昭和天皇とは1週間ほど前に会食したばかりだった。

 《天皇は四時二十分に危篤の報に接せられると、花蔭亭において御臨席中の科学委員会合を直ちに打ち切られる。

同四十七分皇后と共に御出門、大宮御所に行幸され、皇太后の御尊骸と御対面になる》(40巻40頁)

 昭和天皇の喪失感は、どれほどだっただろう(※1)。

× × ×

 余談だが貞明皇后は、伝統慣習を何より重んじていた。

それゆえGHQが押し進める宮中改革には納得していなかったようだ。

 占領期、GHQは行財政的な改革だけでなく、皇室の内面、信仰心をも変えようとした。

GHQ宗教調査官のウィリアム・ウッダードがのちに語る。

 「マッカーサー将軍が天皇のキリスト教への改宗を考えていたことに、疑いはない」

 クリスチャンだったマッカーサーの“勧誘”に、昭和天皇はしなやかに対応した。

一例として昭和23年4月以降、GHQと関係の深かった女性牧師の植村環に、皇居で聖書の講義を行うことを認めている(※2)。

 一方で貞明皇后は、いかなるときも日本流を貫いた。

 昭和23年10月、皇太子(上皇さま)の家庭教師を務めるエリザベス・ヴァイニングを大宮御所に招いた時のことだ。

しばし歓談した後、女官が茶菓を運んできた。

上質の緑茶と、栗の入った和菓子、富士山が描かれた羊羹である。

 それから貞明皇后はヴァイニングを案内し、御所の調度品などを見せて回る。

床の間の掛け軸、金漆の置物、京都御所時代の工匠がつくった漆塗りの琵琶、四季折々の花々が刺繍(ししゅう)された着物…。

 ヴァイニングといえば、皇太子に「ジミー」のニックネームをつけるほど皇室への理解が薄かった。

それに対し貞明皇后は、徹底して「和」でもてなしたのである(※3)。

 そんな貞明皇后が、何より待ち望んだのが日本の主権回復だった。

崩御の年の1月、こんな和歌を詠んでいる。

 このねぬる 朝けの空に 光あり のぼる日かげは まだ見えねども

 この年、昭和26年の春、昭和天皇は50歳。

のぼる日かげが、まさに見えんとしていた--。

(『昭和天皇実録』取材班キャップ 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 大正から昭和に御代替わりする前後の一時期、何事にも伝統慣習を重んじる貞明皇后と、近代的な立憲君主像を目指す昭和天皇とは、宮中改革などをめぐりしばしば意見が対立した。

このため貞明皇后と昭和天皇は不仲だったと憶測する文献もあるが、貞明皇后実録に収録された女官の日記などには、二人が戦後も皇居と大宮御所とを互いに行き来するなど良好な母子関係がつづられている。

長年侍従を務めた甘露寺受長も貞明皇后実録編集時の関係者談話で「宮城と大宮御所との間に確執が起つたといふことがよく言はれるが、これは宮廷の実状を知らない者の単なる観念論であります」と不仲説を一笑に付している

(※2) 植村の聖書の講義を、香淳皇后や正仁親王(常陸宮さま)も受講された。

むろん昭和天皇が改宗することはなく、マッカーサーの解任で影響力が薄れると、やがて講義も終了した

(※3) ヴァイニングの著書「皇太子の窓」には、貞明皇后について「日本に永年住んだことのある者で、皇太后陛下の御性格の力と影響、

あらゆる人々が皇太后陛下に対していだいている敬愛の念に気づかぬ者はあるまい」と記されている。

また、ヴァイニングは貞明皇后に謁見した際の印象について、「(19世紀に大英帝国を躍進させた)ヴィクイトリア女皇のことを想(おも)いださずにはおられなかつた」ともつづっている

【参考・引用文献】

〇宮内庁編「昭和天皇実録」40巻

〇宮内庁所蔵「貞明皇后実録編纂資料・関係者談話聴取」

〇主婦の友社編「貞明皇后」

〇工藤美代子著「母宮貞明皇后とその時代」(中央公論新社)

〇ベン=アミー・シロニー著「母なる天皇」(講談社)

〇松本健一著「畏るべき昭和天皇」(毎日新聞社)

〇E・G・ヴァイニング著「皇太子の窓」(文芸春秋新社)

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