第223回 名代と外遊(1) 大任果たされた皇太子

昭和天皇の87年

大任果たされた皇太子 日英友好にチャーチルも動いた

画=筑紫直弘
画=筑紫直弘

第223回 名代と外遊(1)

その日-昭和28年3月30日、皇居から横浜港まで30余キロの国道沿いは、満開の桜と、約100万人の国民が打ち振る日の丸の小旗に彩られた。

歓声に包まれた喜色のトンネルを、飴色(あめいろ)のオープンカーが通過する。

車上で手を振られているのは、初の外遊に出発される、当時19歳の皇太子(上皇さま)だ。

 外遊の目的はエリザベス英女王の戴冠(たいかん)式、昭和天皇の名代としてのご出席である。

あわせてアメリカ、フランス、スペイン、オランダなど計14カ国を訪問される予定だ。

前年4月に主権を回復してからまもなく1年。

日本が国際社会に新たな一歩を踏み出す、先導役も担われていた。

 昭和天皇が大正10年に訪欧したときも、19歳の春だった。

今回の外遊にあたり、昭和天皇は皇太子としばしば歓談し、自身の訪欧について語ったと昭和天皇実録に記されている。

 皇太子の外遊を、当時のマスコミは大きく取り上げた。

中でも力を入れたのは、同年2月1日からテレビ放送を始めたNHKだった。

出発の日、昭和天皇は《皇太子出航の模様を放映するテレビ放送を皇后と共に御覧になる》(「昭和天皇実録」41巻37頁)。

 NHKアナウンサーが実況する。

 「3時55分、出港の汽笛が響き渡りました。いよいよ出帆であります。

プレジデント・ウィルソン号の巨体は、五色のテープを引いて岸壁を離れました。

期せずしてわき起こる歓呼の声、横浜港は、興奮のるつぼと化しています。

皇太子さま、お元気でいっていらっしゃい。

この日、全国民の心の中は、みなひとつであったと思われます」(※1)

 昭和天皇の感慨は、一入(ひとしお)だっただろう。

 この3年、昭和天皇の子供たちは、次々と巣立っていった。

25年5月に三女の和子内親王が鉄道研究家の鷹司平通(五摂家の鷹司家27代当主)と、27年10月には四女の厚子内親王が実業家の池田隆政(旧岡山藩主池田家16代当主)と、相次いで結婚している。

 悲しい旅立ちもあった。

28年1月、秩父宮雍仁親王が50歳で薨去(こうきょ)したのだ

幼少期を一つ屋根の下で過ごした、何でも言い合える弟だった。

× × ×

 皇太子を乗せた米客船プレジデント・ウィルソン号は4月11日にサンフランシスコに到着。カナダを経由し、英国入りされたのは4月27日である。

 だが、そこで皇太子を待っていたのは、大衆紙などがあおる反日世論だった。

訪英直前の4月22日、英大衆紙デーリー・エクスプレスは書いた。

 「(日本が)善良な意思を持つという証拠を何等示す事も無く戴冠式に代表を送るよう招待される等想像も出来ない」

 終戦から8年足らず、シンガポールの戦いで日本軍に大敗し、多くの英軍将兵が不名誉な捕虜生活を強いられた戦争の傷痕は、まだ癒えていなかったのだ。

捕虜団体は皇太子来英に抗議する決議を行い、皇太子招待の賛否を投票で決める市議会もあった。

 英国内の一部に渦巻く反日世論に対し、沈静化に動いたのは英首相、チャーチルである。

皇太子がロンドンに到着された翌日、チャーチルは皇太子との午餐会を主催し、その場に大衆紙の会長や野党党首らを招いて融和の場を演出した。

 席上、まずチャーチルが杯を傾ける。

 「天皇陛下のために乾杯」

 皇太子もさわやかに応じられた。

 「女王陛下のために乾杯」

 2人は打ち解けて歓談し、耳の遠いチャーチルの耳元で皇太子が話しかけられる様子は、「孫がおじいさんと話しているが如き和やかさ」だったと、同席した駐英公使が回想している。

 午餐会の様子は大衆紙でも好意的に報じられ、以後、対日世論は劇的に好転した。

 英王室も皇太子を歓待した。

5月5日にはバッキンガム宮殿で新女王が皇太子と会見。

戴冠式を前にした歓談は、異例の配慮といえよう(※2)。

× × ×

 6月2日、いよいよ戴冠式である。

世界中が注目する舞台は伝統のウエストミンスター寺院。

深紅のローブをまとった当時27歳の新女王に、大司教が純金製の王冠を授ける。

その様子を皇太子は、最前列の席で見られた(※3)。

昭和天皇の名代として、臆することなく振る舞われた皇太子は、随行した侍従長によれば「感嘆の一言に尽きる」だったという。

 皇太子自身、ほっとされたことだろう。

 昭和天皇実録によれば《戴冠式終了後、(昭和天皇は)皇太子より御名代の使命を無事終えた旨の電報をお受けになる。

なおこの電報は、この度の外遊において初めて皇太子名で発したものである》(41巻67頁)

 戴冠式を含む外遊の様子は日本でも大きく報じられ、新生日本の国際デビューを象徴するものとして、国民の喝采を受けたことは言うまでもない。

 もうひとつ、皇太子の活躍を熱い思いで見つめる目があった。

各国在住の日系移民である--。

(『昭和天皇実録』取材班キャップ 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) NHKのカメラマンが最初にフィルムで撮影したニュースが、この外遊の出発時だとされる

(※2) 6月6日にエプソム競馬場で行われたダービーでも、エリザベス女王は皇太子をロイヤルファミリー席に招き、一緒に観戦した。

こうした皇太子への厚遇に対し、昭和天皇は女王に礼電を発した

(※3) 皇太子の座次は中央から13番目で、隣はソ連外相のマリクだった

【参考・引用文献】

〇宮内庁編「昭和天皇実録」41巻

〇波多野勝著「明仁皇太子 エリザベス女王 戴冠式列席記」(草思社)

〇NHK名作選「皇太子殿下御外遊記録・晴れの御出発」(昭和28年放映)

〇古田尚輝著「テレビジョン放送における『映画』の変遷」(成城大学文芸学部「成城文芸」196号収録)

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