第224回 名代と外遊(2) 皇太子のもう一つの使命 「邦人のみならず外国人も感激」

昭和天皇の87年

皇太子のもう一つの使命 「邦人のみならず外国人も感激」

画=筑紫直弘

画=筑紫直弘

第224回 名代と外遊(2)

昭和28年の皇太子(上皇さま)外遊には、3つの目的があったとされる。

第一は英女王の戴冠式に昭和天皇の名代として出席されること、第二は日本の国際社会復帰の先導役を担われること、第三は皇太子自身の見聞を広められることだ。

だが、これらの目的に加え、皇太子はもう一つの使命感を抱かれていた。

訪問する各国の日系移民や在住邦人とふれあい、励まされることである。

 戴冠式の前、3月30日に日本を出国した皇太子一行は、4月11日に米・サンフランシスコ、13日にカナダ・バンクーバーに到着、列車で北米大陸を横断する。

途中停車するカナダ国内の各駅では近隣の日系移民が集まり、車窓からでもと奉迎したが、皇太子は予定にない小駅でも車外に出て、声をかけられた。

先の大戦中、アメリカとカナダの日系移民は強制収容所行きの苦難を味わっている。

母国の皇太子とふれあい、どれほど胸を熱くしたことだろう。

一方、随員らは皇太子の健康を憂慮した。

北米の外気は時に零度を下回る。

訪英前に風邪でも引かれたらと、早朝の途中駅では侍従長が応対する案も出たが、

随員の吉川重国によれば「殿下は成るべく起きられたら出るといわれた」という。

吉川は述懐する。

「(ある駅では午前4時半に車外に出て)邦人のみならず外人をも感激させられた」

「日本のプラスになるなら何でもするという御気持がうかがわれ、全く頭が下がる」…

× × ×

6月2日に戴冠式出席の使命を果たされた皇太子は、イタリア、ベルギー、西ドイツ、アメリカなどを歴訪、元首級との会見を重ねるとともに、現地の在住邦人や日系移民らの熱烈な歓迎を受けた(※1)。

それは、昭和天皇が皇太子時代に訪欧した時の、再現といっていいだろう。

外遊の様子は、昭和天皇にも逐次届いた。

5月18日《英国における皇太子の動静を伝えるニュース映画を皇后と共に御覧になる》

(昭和天皇実録41巻60頁)

6月23日《皇太子が渡欧の船上にて録音したテープを(皇族や皇后と)ご一緒にお聞きになる》(同巻75頁)

7月28日《皇太子がベルギー国訪問を終えるに当たり、滞在中に受けた歓待に対し、同国国王ボードワン一世へ礼電を発せられる》(同巻83頁)

10月12日、半年間にわたる外遊の目的と使命を果たした皇太子が、米旅客機で羽田空港に到着された。

ひとまわり大きくなられた姿に、国民は万歳の嵐だ。

昭和天皇も喜び、こう詠んだ。

皇太子(ひのみこ)を 民の旗ふり 迎ふるが うつるテレビに こころ迫れり

皇太子への注目は続く。

いよいよ全国民の一大関心事、お妃選びが本格化したのだ--。

(『昭和天皇実録』取材班キャップ 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 訪問国の中でも第二次世界大戦で同じ枢軸国だったイタリア、西ドイツなどは皇太子一行への歓迎ムードが強く、枢軸国に近かったスペインでも大歓迎を受けた。

一方、ドイツに蹂躙されたオランダなどの対日世論は厳しく、随員が気をもむことも多かった。

そんな中、ベルギーの港湾都市アントワープでは、停泊していた日本の貨物船2隻が日章旗を掲げて皇太子一行を出迎えた。

甲板に整列した船員たちが万歳を絶叫するのをみた随員の吉川重国は、「涙がポタポタ落ち」るほど感動したという

【参考・引用文献】

〇波多野勝著「明仁皇太子 エリザベス女王 戴冠式列席記」(草思社)

〇高橋紘著「人間 昭和天皇〈下〉」(講談社)

〇宮内庁編集「昭和天皇実録」41巻

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