第227回 安保闘争(1) 社会党が騒動あおる!?「アメリカは日中の敵だ」

昭和天皇の87年

社会党が騒動あおる!?「アメリカは日中の敵だ」

第227回 安保闘争(1)

「参院ついに暴力ざた」「警官隊五百出動」「社会党議員が乱入」「抜打ち本会議に憤激」「河野(義克)事務次長殴られる」-

 昭和31年6月2日未明に参院本会議で起きた、乱闘事件を伝える新聞報道だ。

 その前年(1955年)、左右に分かれていた社会党が統一して日本社会党となり、翌月に自由党と日本民主党が合同して自由民主党となる。

両党は憲法、自衛隊、教育政策などをめぐって激しく対立し、国会はしばしば空転した。

 以後、少数の抵抗により多数の主張が通らない、いびつな政治が40年近く続く。

55年体制である。

 革新勢力の中核にいたのは、日本教職員組合(日教組)だ。

イデオロギー教育を推進し、政治闘争に明け暮れた日教組の弊害は、指摘するまでもないだろう。

左傾化した教育を是正しようと第3次鳩山一郎内閣が(1)教育委員の任命制(2)教科書検定の強化-に取り組むと、日教組の影響を受ける社会党は実力阻止に出た。

冒頭の乱闘事件がそれである。

× × ×

 鳩山内閣は、悲願とする自主憲法制定でも挫折した。

改憲発議に必要な3分の2議席という壁を、崩せなかったからだ。

小選挙区制の導入により議席増を狙うも、選挙区割りが自民党に有利だとして猛批判を浴び、実現できずに終わる。

 31年12月、鳩山は、日ソ共同宣言で国交を回復したのを花道に退陣し、政界を引退した。

 短命に終わった石橋湛山内閣をはさみ、保守の旗振り役を引き継いだのは岸信介。

安倍晋三現首相の祖父である。

そして、岸政権のもとで保革激突の“主戦場”となったのが、日米安全保障条約の改定問題だった(※1)。

 対米従属的な色彩が強く、在日米軍の日本防衛義務すら不明確な日米安保を改定することに、当初は社会党議員も前向きだった。

ところが1957(昭和32)年にソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功すると、内外の情勢は一変する。

それまで弾道ミサイル開発で先行していたアメリカの優位が崩れ、革新勢力は一斉に東側陣営になびいた。

 1959(昭和34)年3月、訪中した社会党書記長、浅沼稲次郎は言った。

 「米国は日中共同の敵だ」「社会党は今後、国内では資本主義と戦い、外では米国の帝国主義と戦う」

 以後、反米色を強める社会党などの反政府運動が激化する。

左翼的な学生らも国会周辺に押し寄せ、安保反対のデモを繰り返した。

 首都中枢に渦巻く、革命前夜のような喧騒と混乱-。

岸は、革新勢力との全面対決を決意する--。

(『昭和天皇実録』取材班キャップ 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 日本の主権回復とひきかえに締結された昭和27年発効の日米安全保障条約は、(1)日本は米軍の駐留を認めるのに、米軍の日本防衛義務が明示されていない(

2)米軍の行動範囲や条約適用の地域が限定されていない

(3)日本の国内紛争にも米軍介入を容認する内乱条項が含まれている

(4)条約の期限が明示されていない-など、対米従属的な内容だった。

これを岸は対等で双務的な内容にするため、

(1)日米双方が日本と極東の平和と安定に協力する

(2)条約地域を限定する

(3)在日米軍の配置、装備の重要な変更は事前に協議する

(4)条約期限を10年とする-ことを目指した

【参考・引用文献】

〇国政問題調査会編「日本の内閣」

〇大河内繁男著「第五四代 第三次鳩山内閣」(林茂ら編「日本内閣史録5」〈第一法規出版〉収録)

〇工藤美代子著「絢爛(けんらん)たる悪運 岸信介伝」(幻冬舎)

〇昭和31年6月2日の朝日新聞

〇昭和34年3月10日の産経新聞

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