第230回 吹上御所 戦時中の防空壕で15年以上も生活

昭和天皇の87年

戦時中の防空壕で15年以上も生活 新築は「国民にすまない…」

第230回 吹上御所

皇孫・徳仁親王のご誕生、長女・成子の死去、皇太子妃の流産-と、喜びと悲しみが折り重なった時期、昭和天皇の生活空間にも、大きな変化があった。

昭和36年の秋、新居が完成したのだ。

 終戦から15年以上、かつて焼け野原だった東京は、ビルの林立する大都市に変わりつつある。

だが、戦災で炎上した宮殿は再建されず、昭和天皇は依然として「御文庫」で生活していた。

 戦時中につくられたコンクリートの防空壕舎。

日当たりはほどんどなく、「部屋のロッカーに背広をぶらさげておくと、二、三日でジトッとしめってしまう」(入江相政)、

「壁のクロスに大きなシミが出てバッサリ剥がれ落ちたりもした」(永積寅彦)と侍従が口をそろえるほど、御文庫は湿気が激しい。

宮内庁では、健康維持のためにも新居の建築が不可欠と考えていたが、昭和天皇は「国民に対してすまない」と承知せず、新築計画は進まなかった。

× × ×

 ようやく建築がはじまったのは、35年7月からだ。

昭和天皇も内心では嬉しかったらしく、「工事が進捗するにつれては、工事現場へもしばしばおいでになって、お楽しそうにあっちこっちと見廻っておいでになった」と、入江が書き残している。

 完成は36年11月20日。

延べ床面積約1350平方メートルの洋風二階建てで、「吹上御所」と名付けられた。

大きな書棚があり、それまで3カ所に分けて保管していた蔵書をすべて納めることもできる。

 入江の手記によれば、「この書棚の中の本の置き工合(ママ)については、(昭和天皇は)非常に御苦心になった。

一度おならべになったものを、一部すっかりおやりかえになったり、またお迷いになったり。

しかしそんなお楽しいことは、滅多にお有りになるまいからと、われわれはほほえましく思って傍観していた」

 昭和天皇の喜びが、伝わってくるようだ。

 何より、日当たりがいい。

居室の障子を開ければ皇居の庭の、武蔵野の自然が迫ってくる。

成子が死去して4カ月。

昭和天皇の傷心も、この武蔵野の自然に、徐々に癒やされたのではないか。

 宮殿が再建されたのは、さらに遅れて43年11月。

「威厳より親愛を、荘重よりも平明を」をコンセプトに造営され、現在に至っている。

× × ×

 この間、国民の生活水準も飛躍的に向上した。

池田勇人内閣の所得倍増政策で36年の労務者賃金が20%前後上昇。

37年に東京の人口が世界で初めて1000万人を突破する。

38年にはテレビアニメ「鉄腕アトム」の放映も始まった(※1)。

 そして39年10月、日本の完全復活を象徴する祭典、東京オリンピックが開幕する--。(『昭和天皇実録』取材班キャップ 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) 通勤者を含めた東京の昼間人口は35年10月の国勢調査で1000万人を超えたが、東京都は37年1月、常住人口(夜間人口)が推計1000万人に達し、

「世界初の1000万都市」になると発表した

【参考・引用文献】

〇入江相政著「天皇さまの還暦」(朝日新聞社)

〇高橋紘著「人間 昭和天皇〈下〉」(講談社)

〇宮内庁編「昭和天皇実録」45、48巻

〇「実録昭和史4・高度経済成長の時代」(ぎょうせい)

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