大正ロマン : 中国・満州に立ちこめる暗雲- 大正から昭和へ、激動の時代の幕が開けた

[昭和天皇の87年】

中国・満州に立ちこめる暗雲- 大正から昭和へ、激動の時代の幕が開けた

大正ロマン

躍進の明治と激動の昭和にはさまれ、大正の治世が話題になることは少ない。

だが、この14年5カ月の間に生み出された文化や制度は多岐多彩で、その多くが現代の日本に引き継がれている。

文化的には、大正ロマンが花開いた。

大正3年に「カチューシャの唄」が大ヒットし、歌謡曲ブームの先駆けとなる。

字幕シネマに人気が集まり、14年にはラジオ放送が始まった。

洋装する女性が増え、主婦之友や婦人公論など女性向け雑誌が相次いで創刊されたのもこの時代だ。

都市にはカフェやレストランが立ち並び、カレーライス、ポークカツレツ(とんかつ)、コロッケが大正の三大洋食と呼ばれた(※1)。

スポーツでも、箱根駅伝、東京六大学野球、夏の甲子園こと全国高校野球(当時は中等学校野球)選手権大会が始まり、今に続いている。 

大正前半の日本経済は、第一次世界大戦の影響で空前の好景気にわいた。

戦乱で悪化した欧州経済の穴を埋める形で工業生産が増大し、軽工業、重工業ともに飛躍的に発展。その一方、貧富の差が拡大して労働争議が多発し、部落解放運動や女性運動なども活発化した。

9年5月には労働者ら約1万人による第1回メーデーが上野公園で行われている。

一方、第一次世界大戦後の国際情勢は、なお混沌(こんとん)としていた。

とくに対中国問題が複雑化し、昭和の時代に、暗い影を投げかけていく。

大正中期=1910年代後半以降の中国は、もはやひとつの国家とはいえないほど、混乱を極めていた。

中華民国初代大統領の袁世凱は1915(大正4)年、帝政を復活させて自ら皇帝に即位するも、激しい反発を招いて3カ月余りで退位、失意のうちに病没した。

袁亡き後の中央政府は弱体化し、以後、地方軍閥などが覇を争う内乱状態に突入する。

 中国南部の広東を拠点に勢力を広げたのは、孫文の国民党だ。

日本の近代化に学ぼうとした孫文だが、ロシア革命後は方針を転換、中国共産党と結んでソ連からの支援を受けた。

北京の中央政府では大統領の馮国璋(ふうこくしょう)らと国務総理(首相)の段祺瑞(だんきずい)が派閥争いを繰り広げ、英米は馮らと、日本は段との関係を深めた(※5)。

 

これに対し、日本が権益を持つ満州に台頭したのは、張作霖である。

満州の貧困家庭に生まれた張は、馬賊となって頭角を現し、清朝に帰順して軍の部隊長となった。

野心が強く、清朝崩壊後は日本に接近する。

1912(明治45)年2月、張は日本の駐奉天総領事を訪ねて言った。

「私が民衆を率いて日本に依拠するのは、難しいことではありません」

「私はすでに忠誠を尽くすべき皇帝を失ってしまいました。同じアジアの種族である日本に依拠するのは当然の道理です」

 日本の外務省は当初、張を信用せずに深入りしない方針だったが。軍部などは前のめりになった。

日本の支持を得た張は急速に勢力を拡大、1919(大正8)年に東3省(奉天、吉林、黒竜江)の支配権を掌握する。

日本が張に期待したのは、張がスローガンに掲げた「保境安民」、すなわち満州を固めて善政を行うことだった。

民心が安まれば日本の権益も保全されよう。

だが、張の野心は満州にとどまらない。

中央に覇を唱えようと繰り返し北京に進攻し、窮地に陥ると日本の関東軍に救いを求めた(※6)。

しかも張は過酷に税を取り立て、ことごとく軍備に注ぎ込んだ。

このため満州の民心は荒れ、張政権と、張を支援する日本への怨嗟の声が満ちあふれた。

やがて日本は張をもてあますようになり、ことに関東軍は張を忘恩の徒とみなし、一部で張の排除を画策する動きも出はじめた。

 

のちにそれは、日本を泥沼の戦争に引きずり込む重大事件につながっていく。

中国に暗雲が立ちこめる中、25歳の裕仁皇太子は天皇となった。

激動の昭和の、幕が開いたのである--。

(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載 来週からは若き天皇の苦悩を描く「青年君主」編を連載します)

(※1) 大正の三大洋食のうちカレーライスとポークカツレツは明治時代から作られていたが、広く食べられるようになったのは大正時代だった

(※2) ドイツの軍需会社シーメンスによる海軍高官への贈収賄事件

(※3) 普通選挙法と同時に治安維持法も制定された。

なお、成人女子への選挙権付与は先の大戦後の昭和20年12月

(※4) 総辞職の原因が失政ではなく、首相の病気や死亡による場合は与党の後継党首に大命降下する

(※5) 第一次世界大戦中に寺内正毅内閣は段祺瑞に1億4500万円もの借款(西原借款)を供与したが、段の権力失墜により回収不能に陥った

(※6) 例えば張作霖の腹心だった郭松齢(かくしょうれい)が精鋭部隊を率いて反旗をひるがえした際、張は関東軍司令官に、日満間の懸案問題を解決すると約束して助けを求め、

関東軍の協力により窮地を脱したが、その約束を果たそうとしなかったとされる

[参考・引用文献】○皿木喜久著「大正時代を訪ねてみた-平成日本の原景」(産経新聞ニュースサービス)

○孫継武著「張作霖と日本」(西田勝ら著「近代日本と『満州国』」〈不二出版〉所収)

○秦郁彦著「張作霖爆殺事件の再考察」(機関誌「政経研究 44巻1号」〈日本大学政経研究所〉所収)

○森克己著「満州事変の裏面史」(国書刊行会)

コメントを残す

サブコンテンツ

i2i


サイト内ランキング



アクセスカウンター


このページの先頭へ