第231回 東京五輪と大阪万博 日本”復活”の2大祭典

昭和天皇の87年

日本“復活”の2大祭典 「喜びも悲しみも国民と…」

画=筑紫直弘
画=筑紫直弘

第231回 東京五輪と大阪万博

 --世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、すばらしい秋日和でございます--

 昭和39年10月10日、テレビから流れるNHKアナウンサーの声が弾む。

第18回オリンピック東京大会が開幕したのだ。

開会式が行われた国立競技場は約7万5千人の観衆で埋まり、約6500万人がテレビにくぎ付けとなった。

 --総起立のうちに、天皇皇后両陛下をお迎え申し上げます。

安川オリンピック東京大会組織委員会会長の御先導。

そして両陛下の後ろには、国際オリンピック委員会のブランデージ会長が従っております--

 わき起こる歓声。君が代の吹奏。

参加94カ国の選手団が入場行進し、ロイヤルボックスに敬礼するのを、昭和天皇は会釈でこたえた。

 --日本選手団の入場であります。男子は真っ赤なブレザー。

女子も真っ赤なブレザー。ロイヤルボックスから盛んな拍手が送られます。

ちょうどその前をさしかかりました。

堂々の行進であります。

帽子を胸に当て、天皇陛下に敬礼をいたします、日本選手団。

スタンドから惜しみない拍手が送られております--

 午後2時52分、昭和天皇がマイクの前に立った。

 「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」

× × ×

 アジアで初の東京オリンピックは、本来、皇紀2600年にあたる昭和15年に行われるはずだった。

ところが日中戦争の泥沼化により日本は開催権を返上、国際社会から孤立した暗い時代に突入する。

それから24年、東京の空は晴れ上がった。

開会を宣言する昭和天皇の胸中も、陽光で満たされていただろう。

 半月にわたる競技日程で、日本選手の活躍は目覚ましかった。

金メダルはアメリカ36個、ソ連30個に次ぐ16個を獲得。

中でも「東洋の魔女」といわれた女子バレーボールの活躍に日本中が熱狂する。

正式種目に採用されたお家芸の柔道では、無差別級で金メダルを逃す波乱があり、これも大きな話題となった。

 昭和天皇も観戦した。

 10月15日《バレーボール競技を御覧のため、午後一時三十六分皇后と共に御出門、世田谷区の駒沢バレーボール場に行幸される》

(昭和天皇実録46巻219頁)

 22日《柔道競技を御覧のため、午後二時五十六分皇后と共に御出門、日本武道館に行幸される》(同巻221頁※1)

 競技だけではない。オリンピックにあわせたインフラ整備により、東京は世界トップレベルの大都市に飛躍した。

高速道路網が整備され、東京モノレールや東海道新幹線が開業したのもこの年だ。

× × ×

 関西でも、日本の完全復活をアピールする祭典が開かれる。

昭和45年の日本万国博覧会(大阪万博)である。

ここでも昭和天皇は、日本の象徴として欠かせない役割を担った。

画=筑紫直弘
画=筑紫直弘

 同年3月14日、昭和天皇は大阪府吹田市の万博会場で《開会式に臨まれ、内閣総理大臣等の挨拶・祝辞に続き、次のお言葉を賜う》

 《--世界各国の協力をえて、人類の進歩と調和をテーマとする日本万国博覧会が開催されることは、まことに喜びにたえません。ここに開会を祝い、その成功を祈ります--》

 《続いて天皇・皇族・大会役員等への花束の贈呈がある。

その際、天皇へは侍従を通じて贈呈される予定であったが、御自ら手をさしのべて児童代表より直接花束を受け取られる》

(昭和天皇実録49巻143~144頁)

 アジアで初の万博は、東京オリンピック以来の国家プロジェクトだ。

世界77カ国が参加し、万博史上最大規模となった。

6カ月に及ぶ開催期間中の入場者数は6421万人。

昭和43年に国民総生産(GNP)が世界第2位となった“経済大国ニッポン”を、象徴するイベントといえよう。

 昭和天皇は詠んだ。

 きのふより ふりいでし雪 はやはれて 万国博開会の 時はいたりぬ

 雪が重くのしかかった終戦から四半世紀。国力の充実とともに、皇室にも明るい話題が続いた。

昭和40年11月には皇太子(上皇さま)夫妻に第二皇男子(秋篠宮さま)が、44年4月には第一皇女子(黒田清子さん)がご誕生。

昭和天皇実録には、昭和天皇が孫たちとのふれあいを楽しむ様子がしばしば登場する。

国民生活の向上が、昭和天皇の心を一層明るくしたことだろう。

 大阪万博の年、数えで70歳となった昭和天皇は、こんな和歌を詠んでいる。

 よろこびも かなしみも民と 共にして 年はすぎゆき いまはななそぢ

 大阪万博には、海外の元首級の要人や王族も多数訪れる。

それを出迎え、もてなすのも皇室の大切な役目だ(※2)。

 4月に来日したベルギー国王ボードワン一世の弟、アルベール公(のちのベルギー国王)も、“おもてなし”を受けた一人である。

昭和天皇は皇太子夫妻も交え、アルベール公を宮中午餐で歓待した。

 後日、ボードワン一世から、皇室の新たな扉を開く親書が送られてきた。

 「天皇皇后両陛下が、わが国をご訪問されるよう、希望しています」--。

(『昭和天皇実録』取材班キャップ 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

(※1) このほか東京オリンピックで昭和天皇は香淳皇后とともに、サッカー、水泳、陸上、体操、馬術を観戦した

(※2) 大阪万博の開催中、昭和天皇が会見した各国元首級の要人は、ネパール国王、チェコスロバキア大統領、オランダ王女、デンマーク王女、オーストラリア首相、スウェーデン皇太子、西ドイツ大統領、エチオピア皇帝、カナダ首相、ニカラグア大統領、タイ皇太后、マレーシア首相など

【参考・引用文献】

〇=NHK名作選「東京オリンピック 制作者座談会」(NHKアーカイブス)

〇由利静夫、東邦彦編「天皇語録」(講談社)

〇「実録昭和史4・高度経済成長の時代」(ぎょうせい)

〇宮内庁編「昭和天皇実録」46巻、49巻

〇万博記念公園ホームページ

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