第237回 訪米(1) マッカーサーの墓前に供えられた「エンペラー」の花輪

昭和天皇の87年

マッカーサーの墓前に供えられた「エンペラー」の花輪

画=井田智康
画=井田智康

第237回 訪米(1)

昭和47年に実現した沖縄の本土復帰と並び、昭和天皇が熱い思いを馳せたことがある。

かつての敵国であり、いまや同盟国であるアメリカへの公式訪問だ。

 天皇訪米はそもそも、昭和46年の米中接近(ニクソンショック)で日本との関係をぎくしゃくさせた米大統領のニクソンが求めていたものだが、社会党や共産党などが天皇の政治利用だとして反発しており、なかなか話が進まなかった。

 流れを変えたのは、ニクソンのあとホワイトハウスの主となり、米大統領として初めて来日したジェラルド・フォードだ。

昭和49年11月、米大統領専用機エアフォースワンで羽田空港に到着したフォードは、迎賓館で昭和天皇の出迎えを受け、お召自動車に同乗して皇居へ向かった。

その車中で、フォードは昭和天皇に言った。

 「来年、ワシントンに両陛下をお迎えできたら大変うれしく思います」

 昭和天皇は笑顔でこたえた。

「そういうことができたら、大変うれしいことでしょう」

 フォードはその後、田中角栄との日米首脳会談で天皇訪米を正式に要請。

田中も受け入れ、《適当な時期に御訪米願うよう取り組む》(昭和天皇実録52巻217頁)こととなる。

× × ×

 昭和天皇は意欲的だった。

このとき73歳。外遊のできる体力があるうちに、日米親善に尽くしたかったのだろう。

当時の侍従長、入江相政の日記には、訪米に前向きな昭和天皇の様子がしばしばでてくる。

 田中内閣は金脈問題により退陣したが、訪米準備は次期内閣に受け継がれた。

閣議決定されたのは翌50年2月28日。

その前日、昭和天皇は《内閣総理大臣三木武夫の拝謁をお受けになり、三木首相より米国御訪問についてお聞きになる。

この日、皇后と共に米国を訪問することを御裁可になる》(同53巻15~16頁)

 訪米日程は同年9月30日から10月14日までの15日間、首席随員は経済企画庁長官の福田赳夫が務めることも決まった。

 気がかりなのは、過激派のテロである。

やや下火になっているとはいえ、8月25日には京都御所の塀に「天皇訪米阻止」と落書きした男が逮捕されたり、9月15~27日には国鉄原宿駅の皇室用プラットホーム、葉山御用邸付近、伊勢神宮別宮、高松宮邸などに火炎瓶が投げつけられる事件も起きた。

 だが、昭和天皇の心は揺るがない。

出発する9月30日、羽田空港でメッセージを発した。

 「多年希望していた米国訪問が、実現する運びに至りましたことは、誠に感慨深いものがあります。

この機会に、米国の実情にふれるとともに、(昨秋来日した)大統領閣下との再会をはじめとして、米国各方面の方々との接触を通じて、日米両国の友好親善が、一層深められることを念願しております」

× × ×

 最初の訪問地はバージニア州ウィリアムズバーグだ。

ここには、かつて日本の運命を握った人物の墓がある。

昭和天皇は到着早々、《御名代として千葉(一夫)総領事を同州ノーフォーク市のマッカーサー記念館の中にある元連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーの墓に差し遣わされ、The Emperor of Japan の文字入りのリボンがかけられた、

日章旗の色を表す赤色のカーネーションと白色の菊からなる花環を墓前にお供えになる》(同53巻95頁)

 翌日は休養日に充てられ、昭和天皇は香淳皇后とともに、賓客用のオープン馬車で市内観光を楽しんだ。

 このとき、随員らを驚かせたのは異常な警備態勢だ。

黒いサングラスのシークレットサービス(SS)約30人が馬車の前後左右を固めるように歩き、昭和天皇が座る後部座席の背後にもSSが2人、腰の拳銃に手をかけたまま周囲に目を走らせている。

日本でも出国時には警視庁機動隊員ら1万9千人が動員され、羽田空港周辺は物々しい空気に包まれたが、ここまで明け透けな警備はアメリカならではだろう。

 馬車に同乗する通訳の真崎秀樹は、手榴弾が投げ込まれた時の対応としてSSから「何があっても構わない、だれがいても構わないから、なるべく遠いところにそれを放り出してくれ」と、事前に指示されていたという。

真崎はホテルの自室で、灰皿を手榴弾に見立てて放り投げる練習まで繰り返した。

だが当日、真崎が見たのはテロリストではなく、馬車に取りすがって「天皇陛下万歳、天皇陛下万歳」と繰り返す日系人の老婦人グループだった。

× × ×

 10月2日、昭和天皇と香淳皇后はワシントンに移動。

ホワイトハウスで米大統領フォードの歓待を受ける。

ここで昭和天皇は、拍手が鳴り止まないほどのスピーチをする--。

(『昭和天皇実録』取材班キャップ 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

【参考・引用文献】

〇真崎秀樹『側近通訳25年 昭和天皇の思い出』(読売新聞社)

〇宮内庁編「昭和天皇実録」52巻、53巻

〇昭和50年9月30日のサンケイ新聞夕刊

〇同年10月2日の毎日新聞夕刊

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