第245回 鏡中の月 永遠の天皇、穏やかに崩御 激動の幕は下りた

昭和天皇の87年

永遠の天皇、穏やかに崩御 激動の時代の幕は下りた

第245回 鏡中の月

昭和63年の秋、吹上御所の2階にある昭和天皇の寝室には、野草が飾られていた。

前首相の中曽根康弘が吟味して集め、届けたものである。

 昭和天皇が、侍従に言った。

 「ヒカゲノカズラ(シダ植物)がそこにあるね。どこから採ってきたものだろう」

 9月19日の大量吐血から1カ月余り、小康状態を保っていたものの、病床からは起き上がれない。

鉢植えの野草を見つめる昭和天皇は、那須の森を歩いていた頃を、思い浮かべていたのかもしれない。

 旧暦の十三夜にあたる10月23日、侍従が鏡を持ち、窓外の月を映してみせた。

 「見えますか」

 「見えた。少し欠けてるね」

 がんは通常、激しい痛みを伴うが、昭和天皇は不思議と感じなかったという。

連日お見舞いに参殿される皇太子(上皇さま)や皇太子妃(上皇后さま)、肉親の皇族たちにも、親しく声をかけた。

だが、断続的に下血があり、徐々に体力は落ちていく。

 11月11日《この頃より、日中も眠られている時間が長くなる》(昭和天皇実録60巻104頁)

 11月21日《お眠りになっている時間がさらに長くなり、お言葉も少なくなられる》(同巻110頁)

 12月12日《御衰弱が顕著になる》(同巻120頁)

 国内では自粛ムードが続き、それを疑問視する報道や、皇室制度を批判する議論も出てきた。

12月7日には長崎市長の本島等が「天皇に戦争責任はある」と発言し、市議会が紛糾する騒動も起きている(※1)。

しかし、昭和天皇の心は、静かに平癒を祈る大多数の国民とともにあった。

× × ×

 年が明けて64年1月5日、昭和天皇は夕方に意識が薄れ、6日に昏睡状態に陥った。

 そして、その日は来た。

 7日未明《(容体が急変したとの)報を承け、五時四十三分に皇太子・同妃・徳仁親王・文仁親王・清子内親王が吹上御所に参殿、

続いて六時過ぎまでには正仁親王・同妃・故雍仁親王妃・故宣仁親王妃・崇仁親王・同妃・寛仁親王・同妃・憲仁親王・同妃、及び池田隆政・同厚子、島津久永・同貴子始め御親族が参殿し、御寝室において皇后と共に天皇をお見舞いになる》

(同巻134~135頁)

 昭和天皇は、穏やかな表情だった。

枕元に皇太子が立たれ、ベッドの周りを皇族方が囲む。

皇太子妃は、ふとんの下から昭和天皇の足をさすられていた。

 午前6時33分、聴診器を胸にあてた侍医長の高木顕が姿勢を正し、皇太子に向かって深く頭を下げる。

皇太子も、無言で頭を下げられた。

 この日、激動の昭和に、静かに幕が下りた--。

(論説委員兼那覇支局長 川瀬弘至)

(※1) 天皇の戦争責任発言に右翼団体が過剰に反発し、本島市長は平成2年1月、銃撃されて重傷を負った

【参考・引用文献】

〇岩見隆夫著「陛下の御質問」(毎日新聞社)

〇葛谷茂著「ドキュメント昭和の終焉 天皇崩御」(文芸春秋)

〇宮内庁編「昭和天皇実録」60巻

〇昭和64年1月7日の産経新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞各夕刊

コメントを残す

サブコンテンツ

i2i


サイト内ランキング



アクセスカウンター


このページの先頭へ